光格天皇と松平定信 110
朝廷名目リーダーの光格天皇 (1771~1840) (在1779~1817)
朝廷実質リーダーの九条尚実 (1717~1787) 光格帝の摂政、関白
朝廷実質リーダーの鷹司輔平 (1739~1813) 光格帝の関白、叔父
幕府名目リーダーの徳川家斉 (1773~1841) (在1787~1837)
幕府実質リーダーの松平定信 (1758~1829)
幕府黒幕リーダーの一橋治済 (1751~1827) 家斉の父
松平定信の老中筆頭期間は (1787~1793年)。
光格天皇は9歳での思わぬ天皇位の獲得。
彼がご自分で世の中の状況判断ができる年頃の調度その時、
松平定信は
江戸幕府の財政立て直し政策に手を付け始めた時期。
光格帝は父、典仁親王の存在地位の格上げ工作を図ります。
(父は親王の為、摂関家より格下扱い (禁中並公家諸法度))
彼は父に 「太上天皇 (上皇)」 の尊号付与を
議奏の 中山愛親 (1741~1814)
武家伝奏の正親町公明 (1744~1813) らを通して、
幕閣首座、松平定信に伝えます。(1788年)
しかしながら、松平定信の答えはつれなく 「NO」。
業を煮やす光格帝は1791年公卿らの賛意を取り付け
父を上皇に決定、中央突破を図ろうとします。
この行為に諫言したのが彼の叔父である前関白、鷹司輔平。
(この時点での関白は一条輝良 (1756~1795))
鷹司輔平は定信と交渉し朝幕間との諍いを回避します。
義祖母、後桜町上皇による説得をも受け、
光格帝は
実父への「太上天皇 (上皇)」 の尊号付与を断念します。
これで、松平定信は胸をなで下ろせるか思いきや、
「同じ轍 (てつ)を踏む」 方が登場してしまうのです。 続く。
*議奏は江戸時代に於いては、帝の側に侍り命を公卿に伝える係
*武家伝奏は室町時代より幕府側の要請を朝廷に取り次ぐ係
*中山家 | 藤原師実(1042~1101)の次男、花山院家忠の庶流 | |
*正親町家 | 西園寺公経(1171~1244)の孫、洞院公守の庶流 |
晩夏のあざみ
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