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2007年8月13日 (月)

江戸時代のお世継ぎ問題 109

 後桃園天皇は「男子」を設けず、僅か22歳でご逝去されます。
 後嗣を決めてなかったものですから、朝廷はてんやわんや。
 最終的に天皇位は中御門天皇の弟、閑院宮直仁親王のお孫さん
 祐宮 (さちのみや) 後の 「光格天皇」 に。
 後桃園天皇の養子の形を取り、、後桃園天皇のお嬢さん、
 欣子内親王 (よしこ) が彼の中宮 (奥様) になります。

 
 閑院宮 (1) 直仁親王のお子様は、
 
  生涯     母
治子女王 (1720~1747)   近衛脩子
公啓入道親王 (1732~1772) 天台座主 讃岐
典仁親王 (1733~1794) 閑院宮2代目 讃岐
倫子女王 (1738~1771) 徳川家治の奥様に 讃岐
淳宮 (1739~1813) 後の鷹司輔平 さち
 
 閑院宮 (2) 典仁親王のお子様は、
 ☆ 閑院宮(2)典仁親王の正妻は中御門帝息女、成子内親王
    彼女との間にお子さんができます夭折
 
  生涯     母
美仁親王 (1757~1818) 閑院宮3代目 大中臣祐智の娘
深仁入道親王 (1759~1807) 仁和寺宮 りて
公璋入道親王 (1760~1777) 輪王寺宮 りて
真仁法親王 (1768~1805) 妙法院宮 おさ
光格天皇 (1771~1840) 第119代天皇 大江磐代
盈仁法親王 (1772~1830) 聖護院宮

大江磐代

*典仁親王の母、讃岐さんは伊藤一中のお嬢さんと云う事の成って
 います。多分、彼女は九条家庶流の方ではないかと?
*美仁親王の母、大中臣祐智のお嬢さんと云う事の成っています。
 大中臣と来ると、「神代の時代」 まで遡る事になります。
  「神様」 のエリア (area) は、
 「神々の流竄 (るざん)」 で 「古事記」 の原作者は
 「藤原不比等」 と提唱された
 梅原猛さんのお力を借りなければ・・・。
 ここでは、取り急ぎ神社関連の方として置きます。
*光格天皇の母、大江磐代さん
 この女性はミステリアス (mysterious)
 平安中期の大江匡衡 (くにひら) 赤染衛門の夫、
 平安後期の大江広元 (毛利氏のご先祖) の大江氏とは関係なく、
 大坂の豪商 「淀屋」 と関連が有るとか今現在調査中・・・。
 成子内親王の身の回りお世話係?の磐代さんが典仁親王の
 お世話もなさった感じ?
*さち・りて・おさ さんに関しましても全く不明です。

 この時の天皇家お世継ぎ問題は 「閑院宮家」 の存在を以てして
 クリアー (clear) する事ができました。  続く。 

晩夏の薊
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晩夏のあざみ

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