江戸時代京都みやび事情 107
東海道五十三次の出発は日本橋、そして終着は京の都。
この時代の禁裏空間状況をちょいと垣間見てみます。
徳川幕府第二代将軍徳川秀忠のお嬢さんが嫁いだ
京の後水尾天皇の件は、
「お市の方のお孫さん達」 で紹介しました。
後水尾天皇 (在位 1611~1629)(1596~1680) 108代
のお子様達、
在位 | 生涯 | 代 | 母 | |
文智女王 | (1619~1697) | 典侍 四辻与津子 | ||
明正天皇 | (1629~43) | (1623~1696) | 109 | 中宮 徳川和子 |
後光明天皇 | (1643~54) | (1633~1654) | 110 | 女御 園光子 |
後西天皇 | (1654~63) | (1637~1685) | 111 | 典侍 櫛笥隆子 |
霊元天皇 | (1663~87) | (1654~1732) | 112 | 典侍 園国子 |
5名の方々しか記していませんが、公で34名のご子息が存在。
お元気いっぱい、後水尾帝って感じ。
ご存じ明正天皇は、
奈良時代、孝謙 ・称徳天皇以来から久方ぶりの女帝です。
又、後水尾帝の奥様らの園光子 ・国子は叔母 ・姪の関係。
園家は藤原道長の次男、頼宗の末裔になります。
櫛笥 (くしげ) 家は藤原魚名、四条流の末裔とか
後水尾帝のお子様の内、4名の方々が天皇位ゲットもご立派。
ネックストは霊元天皇が引き継ぎます。
在位 | 生涯 | 代 | 母 | |
栄子内親王 | 二条綱平妻 | (1673~1746) | 中宮 鷹司房子 | |
憲子内親王 | 近衛家熙妻 | (1669~1688) | 典侍 坊城房子 | |
東山天皇 | (1687~09) | (1675~1709) | 113 | 典侍 松木宗子 |
尭延法親王 | (1676~1718) | 掌侍 五条庸子 | ||
有栖川宮職仁 | (1713~1769) | 妃 松室敦子 |
*坊城家・・・藤原良門系 勧修寺流 吉田家分家
*松木家・・・藤原道長の次男、頼宗の末裔
*五条家・・・菅原為長 (1158~1246) の子、五条高長が祖
*松室家・・・古事記の 「月読の神」 の末裔とか?
霊元天皇もお元気。公で31名のお子さんをこの世に。
奥様欄を見ると、思わず 「源氏物語」 の書き出し感じ。 続く。
盛夏の朝顔
| 固定リンク
コメント