粋な徳川宗春 v.s. 吉宗 97
尾張名古屋藩の祖、徳川義直 (1600~1650) 公では家康第九子 | |||
1 義直 | ⇒ 2 光友 (1625~1700) | ⇒ | |
3 綱誠 | (1652~1699) | ||
⇒ 4 吉通 (1689~1713) | ⇒ 5 五郎太 (1711~1713) | ||
⇒ 6 継友 (1692~1730) | |||
⇒ 7 宗春 (1696~1764) | |||
紀伊和歌山藩の祖、徳川頼宣 (1602~1671) 公では家康第十子 | |||
1 頼宣 | ⇒ 2 光貞 (1626~1705) | ⇒ 3 綱教 (1665~1705) | |
⇒ 4 頼職 (1680~1705) | |||
吉宗 (1684~1751) |
徳川宗春は吉宗より12歳年下。
ちっちゃな時なら、宗春にとって吉宗はお兄ちゃんの存在。
宗春が21歳の時、徳川吉宗は江戸幕府八代将軍。(1716年)
兄の徳川継友が尾張名古屋藩を継いでいましたので(1713年)
宗春は 「楽な日々?」 ですが、
吉宗により尾張藩の支藩、梁川 (やながわ) 藩主となり大名に。
(梁川は福島県伊達市梁川町鶴ヶ岡) (1729年)
その翌年、兄、継友の不可解な他界?により、
徳川宗春は尾張藩の藩主になる事に。(1730年)
この時点で、宗春 ⇒ 35歳、吉宗 ⇒ 47歳。
この年になれば、立場はどうあれ、年の差は問題外。
「生き様 ・生き方」 での 「勝負」 が可能な世代です。
体力減退気味、経験と知恵を駆使する吉宗に対し、
同じリーダーとして、宗春は、
体力充実、行け行けどんどん、先人政策全否定可能な立場。
「ちまちま、けちけち、倹約政策」 (享保の改革) に対し、
「たのしく、しやわせ、市場経済至上主義政策」 に打って出ます。
続く。
雨の朝顔
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