鯔背な徳川宗春、重商主義 98
「尾張名古屋 (那古野) は城で持つ」。
この城は織田信長が産湯を使った所とも云われています。
尾張の中心地 (府中) は清洲 (旧春日井郡清須)、
後に信長は清洲 ⇒ 岐阜 ⇔ 京都と動きます。
「天下布武」 の名の下に日本を統一する事業が
寝首をかかれ、頓挫しますが、盟友?家康が成し遂げます。
その家康が田舎であったこの地に砦である城を築きます。
それがアクセサリー、金の鯱 (しゃちほこ) をあしらった名古屋城。
残念ながら、わたくしども名古屋産の知り合いが全くいません。
従いまして、メディアを通しての名古屋のイメージは
ミャーミャー言葉
世界に冠たる車産業都市 (豊田市)
25年前頃は 「日本№1のオシャレな高級婦人服専門店」
『「ジュウゴヤ」 お月さん』 の存在
日頃は倹約?結婚式には莫大な浪費
最近では 「同じ物」 同時プレゼントされるお嬢さんの換金所
旧 「質屋」 さん (東京銀座にも出店されています。) の存在
ってな位の情報しか持ち合わせません。
上記な様な浪費 (消費) 力旺盛な文化形成者が徳川宗春。
中央政府、吉宗のお米重視、重農主義に対し宗春は、
織田信長譲りの商売 ・商業者をエイドする重商主義を取ります。
現在のグローバル (global) ?アメリカ経済主義の真似事である
「市場経済至上主義」。
規模こそ違え 「お金」 を 「商品」 とされる以外は
頑張った人だけ (嘘 ・騙し商売を含め)
お金持ちになれる世を造り上げようとしました。 続く。
盛夏の朝顔
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