「儒教精神」は「倹約奨励」 95
人様の恋路に嫉妬する方の 「チクリ」 で
やがて徳川吉宗の耳に入ります。
「倹約と云う美徳?」 政策を旨とする後世命名の 「享保の改革」。
資本主義下の経済循環論を持ち出す迄もなく、
経済現象は 「好況」 と 「不況」 との行き帰り。
スタグフレーション (stagflation) と云うオシャレな命名も
「不況」 と云う事実に何ら変わりありません。
輪をかけて 「庶民」 は辛くなるだけです。
ここでの 「庶民」 は、
「新規事実情報」 を 「情報加工後知らされる」、
「幼気 (いたいけ) なわたくし達」 としておきます。
「景気が良い」 と 「景気が悪い」 時期の繰り返しですので
各時期の為政者は 「その時期」 で運 ・不運があります。
「元禄好景気」 の後始末役、徳川吉宗。
彼だって 「パッパラパー」 とお金を散財できるポジションに
いるにも関わらず 「幕府財政」 を鑑み損な役回り演じる事に。
とかく 「歴史の教科書」 は、なぜか彼を絶賛する始末。
まるで現在の私達に 「儒教精神」 である 「倹約奨励」 かしらん?
資本主義の発展形成の要は、
「お金(資本)」 を貯蓄せず 「ものの消費」 と 「投資」 のし続け。
この貯蓄は 「箪笥預金」 です。
(畳の下には隠さないで、年を取るとその存在自身を忘れます。)
銀行預金は 「銀行」 が皆さんの僅かな預金の十倍金額を
当然、預金金利以上の貸付金利を付けて 「投資」 しています。
ただ、「お金(資本)」 の使い先が皆さんの 「意志」 を違うだけ。
その時点でのトップリーダー故の 「ケチ政策」 を打ち出さざるを
得ない吉宗にとって、
「ご自分の気持ちに忠実」 な榊原政岑の振る舞いは、
吉宗自身も 「やりたくてもでき得ない」 立場の辛い所。
幕府の決め事に反する政岑を処分せざるを得ない状況に。
そして、榊原政岑は 「緊縮政策」 に逆らう者として
「血祭り的、見せしめ違反者」 にされます。 続く。
雨の朝顔
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