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2007年7月29日 (日)

徳川吉宗後の将軍と御三卿102

 吉宗亡き後、江戸幕府の緊縮財政政策を止め、
 重商主義政策を取り入れ、
 (商人からも冥加金 ・運上金と云う租税徴収増狙い)
 干拓等の公共投資政策を実践し、
 江戸幕府の財政状況を好転させようとした田沼意次。
 彼に関しましては、 「田沼意次はケインジアン」 で紹介しました。
 彼の経済政策は画期的だったのですが、
 新しい事を企図する方は、旧既得権益持ちの方々にとっては
 甚だ目の上のたんこぶ、大迷惑な御仁になってしまいます。
 突如襲ってくる自然の悪戯、新潟県中越沖地震感じの
 浅間山大爆発 (1783年7月6日~)
 天候不順による農作物不作の天明の大飢饉など
 「自然の力」 が彼に味方せず、
 又、10代将軍、徳川家治 (1736~1786) の他界に伴う、
 権力闘争、派閥争いの煽りを受け、
 嫉妬まみれの方々により、幕閣から追い落とされてしまいます。
 (1786年8月) その翌年の7月、
 彼の変わりに幕閣のリーダー (老中筆頭) になったお方が
 寛政の改革と云う代物(しろもの)でメジャーな?松平定信。

 ☆ 徳川吉宗の末裔達の系譜 ☆  将軍と御三卿

吉宗 (1684~1751) 家重 (いえしげ) (1711~1761) 9代将軍
  宗武 (むねたけ) (1715~1771) 田安徳川家
  宗尹 (むねただ) (1721~1764) 一橋徳川家

家重 家治 (いえはる) (1737~1761) 10代将軍 家基
  重好 (しげよし) (1745~1795) 清水徳川家    
 
宗武 治察 (はるさと) (1753~1774)      
  定国 伊予松山藩主 (1757~1804)      
  定信 陸奥白河藩主 (1758~1829)      
 
宗尹 治済 (はるさだ) (1751~1827) 贈太政大臣 家斉
  治国
  斉隆
  斉匡
  斉敦
  義居
  重昌 (しげまさ) (1743~1758) 越前福井藩主    
  重富 (しげとみ) (1748~1809) 越前福井藩主 治好
  治之 (はるゆき) (1753~1781) 筑前福岡藩主    

家斉 (いえなり) (1773~1841) 11代将軍 家慶 12代将軍
治国 (はるくに) (?~?)   斉朝 尾張藩主
斉隆 (なりたか) (1777~1795) 筑前福岡藩主 斉清 筑前藩主
斉匡 (なりまさ) (1779~1848) 田安徳川家 斉位 5代一橋家
斉敦 (なりあつ) (1780~1816) 3代一橋家 斉礼 4代一橋家
義居 (よしつえ) (1785~1804) 美濃高須藩主  

 ってな感じで、松平定信は、徳川吉宗のお孫さんになり
 お爺さんが推進した重農主義に戻ってしまうのです。 続く。

盛夏の朝顔
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盛夏の朝顔

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