平賀源内 羊を飼育 毛織物に 86
多分、出島オランダ商館でお仕事をしていた南蛮渡来人、
この時点では彼らを何と呼んでいたのか知りませんが
とにかく 「西洋人」 のどちら様かが、船に乗せて 「羊」 を
日本に持ち込んでいたと想像できます。
彼らの 「食用」 で有ったのか、「ペット」 で有ったのか、
はたまた、「毛織物用」 で有ったのかは不明ですが、
この日本の出島に 「羊」 が生息していた事は事実です。
平賀源内は新しい知識を得んが為、
藩命及び自費で、度々長崎出島を訪れています。
そして、彼40代の時、出島で飼育されていた羊を発見。
「羊の毛が織物に変身」 する知識を得、
早速、彼は羊を頂いたのか、買ったのかは分かりませんが、
何とその羊を生まれ故郷の讃岐高松に持ち帰り、
飼育を試る快挙に。
(遊牧の民と違い船で讃岐まで送りつけた考えます。)
十分な毛の分量になるまで大事に育て、イザ、毛の刈り取り、
逸る心で紡績し、拙いながらも、「毛織物」 の出来上がり。
その生地は、平賀源内の本名、国倫 (くにとも) を取り、
「国倫織」 ブランドとして販売するに至ります。
しかしながら、この企画は、
1 発想の斬新性
2 消費者の「絹」「綿」に長年馴染んでいる故の
コンサーバティブ (conservative=保守性) な発想
3 生地の風合いの悪さ (粗雑な生地性、最初の試みだから)
4 生命体 (羊さん) 故の環境に対する対応脆弱性
5 平賀源内の毛織物企画フォロー者の欠如
等々の理由でぽしゃってしまいます。
良くアパレル業界のデザイナーさん達が口にします。
次期商品発注展示会などで
バイヤー (buyer) の食いつきが良くない (発注が付かない) 際、
「このデザインは早過ぎた。」 と
多分に、企業内デザイナーさん達にとっては
その時点での
「バイヤー発注商品」 を予測できなかっただけですが・・・。
しかしながら、企業内デザイナーさん達の名誉の為に、
バイヤー発注商品は次シーズン
店頭 (小売りショップ) で必ず、売れる商品とは全く限りません。
続く。
雨に煙る菖蒲
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