明暦の大火で都市大改造 52
江戸城までも類焼した明暦の大火。
どの様な被害状態で有ったかは全くの不明ですが、
それはそれは恐ろしい出来事であったのではないかと思います。
しかしながら、構築物が灰燼と化した結果、運良く被災を逃れた
方々は現実を目の前にして対処策を施す作業に取り組みます。
先ずは、防衛戦略上、
隅田川上流、荒川にしか橋 (千住大橋) が
架かっていませんでしたが、
被災者が避難できる様、2本目の橋を架ける事になりました。
それが、「玉やー鍵やー (両国花火)」で有名な
江戸、東京の風物詩、 「大橋=両国橋」 になります。
後の浮世絵師がこぞって風景画に取り入れました。
木造で超ー長い曲線の 「橋」。
架橋技術もさることながら、味のある 「橋」 と思いませんか。
次は、今現在も残っている上野広小路。
木造隣合わせのお家では、消防自動車が来てくれない江戸時代
ですので、即類焼です。
故に道路の巾を広く取り、
少なくてもそこまでで火に勢いを止める策です。
要は山火事での防火対策感じのおおざっぱな方策です。
事は、山ではなく町での火事ですから・・・・・。
小金持ちの方々は蔵は土倉造りに、屋根は瓦葺きにってな調子の
現代から考えるととても長閑な感じがします。
それ以外の方々は、「火事」 があったら取りあえず逃げるのみ。
借家人の方々はご自分の不動産ではありませんから、
余り気にしなかったのかも知れません。 続く。
牡丹
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