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2007年4月19日 (木)

明暦の大火、「振り袖火事」 51

 近代経済学理論を持ち出すこともなく、
 「需要」 が有れば「供給」 を増やすのは当たり前の事。
 なぜか、この商売は、「限界効用逓減の法則」 が通用しない世界。
 それもそのはず、商材が 「物」 ではなく 「心」 だからです。

 イベンターはお役人に取り入り、供給増策を打診します。
 その地区が、「現在」 も存在する浅草、浅草寺裏手の
 「新吉原」 地区だったのです。
 とかく許認可業務の特権を持つ役人は、身銭を増やす方策として、
 結論を出し渋り、袖の下を 「口に出す出さない」 は別として、
 要求し、懐がより暖かくなる様に時間稼ぎをいたします。

 そんな折り、彼らに味方したのが 「江戸の大火事」。
 1657年 1月に起きた明暦の大火、通称 「振り袖火事」。
 被災された方々はとてもお気の毒ですが、
 イベンター、建設業者の方々にとっては、またとない出来事。
 彼らは、顔は鉄仮面でも心の中は 「したり顔」。
 物理の 「作用反作用の法則」 その物です。

 遊び場イベンターにとりましては
 目論見よりも早く、格好の稼ぎ場をゲットできたのです。
 今は斜陽の 「YOSIHARA」?、
 それもその筈、「芸を持たない」 素人さんが
 巷に横行し、彼女らの商売生活空間を狭めているのです。
 バーゲンセールに群がるオバサマ軍団は絵になりますが、
 素人さんに群がるオジサマ達は全く以て頂けません。 続く。

座れば牡丹
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牡丹

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