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2007年4月13日 (金)

田沼意次と徳川吉宗 48

 田沼意次の父は紀伊和歌山藩でお仕事をしていました。
 江戸幕府三代将軍、徳川家光 (1604~1651) の血脈が絶え、
 江戸幕府八代将軍、徳川吉宗 (1684~1751) が江戸に引っ越す
 際に意次の父は一緒にお供しました。

 故に田沼意次はお江戸育ちです。
 後の吉宗の長男で体の弱かった
 江戸幕府九代将軍、徳川家重 (1711~1761) の小姓を勤め、
 吉宗及び家重と家重の息子、
 江戸幕府十代将軍、徳川家治 (1737~1786) に重用され、
 田沼意次は江戸幕府、老中筆頭迄になっています。
 
 彼は将軍らへの忠誠と江戸幕府財政再建策に
 果敢にも骨を折りますが、
 定期的な自然の悪戯による天候不順での飢饉発生、
 突発的な自然の猛威、「浅間山の大噴火 (1782年)」 による
 「天明の大飢饉 (1782~1787年)」 の勃発。
 日常茶飯事の 「お江戸の火事」、目黒行人坂の大火 (1772年)。
 等々により江戸幕府財政再建の進捗状況は思うに任せません。

 一方、お江戸庶民の皆さんは、
 以前の状況より 「お金」 が回り始めましたので、
 「伊勢お陰参り」 等の国内旅行ブーム、
 「飲む」 「打つ」 「買う?」 の大忙し、お店側は大繁盛。
 「歌舞伎」 「相撲」 「遊興」 に現をぬかし、
 お江戸経済は絶好調、「田沼バブル」 に沸き返ります。
 消費経済が先行する時代は、
 「皆さん」 ハッピーに違いありません。
 今は昔、「平成バブル」 と云う時代を経験された方々は、
 「あの時の現と夢」 よもう一度ではありませんか??? 続く。

 尚、田沼意次の詳しい事は、
 「田沼意次の経済政策のお陰でお江戸庶民は元気に」
 をご覧下さい。

座れば牡丹
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牡丹

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