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2007年4月 9日 (月)

明和の三美人 笠森お仙 46

 鈴木春信はプロの女性を描くだけに留まらず、
 お江戸八百八町で生活していた一般庶民女性までも
 ファッションリーダーにしてしまいました。

 その方々は
 「笠森お仙」さん 「蔦屋およし」さん 「柳屋お藤」さん
 以上の方々が通称、明和 (1764~1772年) の三美人
 と云われた女性。
 尚、笠森お仙らの詳しい事は
 「鈴木春信は庶民女性(笠森お仙)をお江戸中の人気者に」
 でご覧下さい。

 素人のお嬢さんをいきなりファッションモデルにしてしまう構造。
 既に、この時代にスタートしていました。
 多分その時代、三人は見目麗しい女性だったに違いありません。
 但し、今現在の美的基準とこの江戸時代は異なりますので、
 くれぐれもご注意下さい。
 絵に描かれている女性の目の描写表現が
 全員細めですが、当然お目々ぱっちりの女性もいらした筈です。
 この細い目の描き方が
 この時代のファッションだったかも知れません。
 同じ様な目でも子細に観察すると皆さんの表情が見て取れます。

 絵師、鈴木春信 ・彫り師、□□ ・摺り師、○○
 三位一体の共同作業で浮世絵版画が出来上がります。
 お名前は歴史に登場しませんが彫り師 ・摺り師あっての
 浮世絵師、鈴木春信になるのです。
 私どもの業界も
 服飾デザイナーさん (作絵 ・服バランス担当)
 パタンナーさん (製図担当)
 お針子さん (縫製担当)
 の三位一体作業で洋服が形作られます。 (原材料は別として)
 基本的に命名される方は代表としてのデザイナーさんですが、
 その背景には 「縁の下の力持ち」 の存在あっての
 服飾デザイナーさんになるのです。 続く。

座れば牡丹
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早めの牡丹

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