京都西陣織と京友禅 42
京都ついでに 「西陣織と京友禅」 について。
これらの着物意匠は、今の世でも厳然と生き残っています。
着物意匠と云えば、素材と絞り染めを除けば、
この二つに凝縮されます。
故に、「着物」と云えば、「京都」 になる訳です。
西陣織の経緯は、以前 「慶長小袖と堺商(職)人」 で
ちょいと触れました。
着物地 (生地) 生産基地としての京都、西陣地区。
京都 (高級呉服) 大消費地域を背景として
目覚ましい発展を遂げます。
フォルム (仏 forme) 固定の着物デザインですので、
専らデザイン領域は素材の善し悪しと織り文様になります。
「織物」 担当の西陣織。
一方、織りに対してプリント(染め)で迫ったのが 「京友禅染め」。
創始者は宮崎友禅斎 (1654?~1738?)。
高級織物呉服の着用を規制された庶民の皆さんのお洒落心を
宮崎友禅斎は救いました。
織物での表現がだめなら、「絵」 で表現してしまいましょう感じ。
鹿の子絞りの無地柄の上や絞り柄の空きスペースに
手描きで 「花鳥風月」 等の絵柄を施したのです。
最終的には、「白生地 (絹無地)」 がキャンバス代わりに。
プリント (染め) は 「水」 が 「命」。
京都も綺麗な 「川」 が流れています。
話が逸れますが、京都盆地の地下水は 「神水」 と云われる程の
美味しい水 (軟水)。
その地下水が川に流れ出す伏見 ・山崎地区。
伏見の 「お酒」、山崎の 「ウイスキー」 が美味しい由縁です。
話を戻して、
手描き友禅染めは京都庶民にとっては大歓迎。
やがて日本全国に波及展開する事に。
「加賀友禅」 は加賀国前田藩が京友禅を取り入れた成果。
前田藩の染め師が京都染め師の全面模倣を嫌い、
グラデーション (暈かし) を真逆にして存在感を出しています。
尚、京友禅の発祥の件は
「宮崎友禅斎の手描き友禅染」 でご覧下さい。 続く。
山桜 真っ盛り
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