尾形光琳と二条綱平との仲 38
資産の消費のみですとやがて資産は枯渇し、
バランスシートは崩れます。
感性無形資産の増加は貸借対照表はお認め下さいません。
やがて尾形光琳も未だかって味わった事のない事態に陥ります。
遊びに遊んだ光琳は既に40歳を迎えようとしていました。
光琳は生活の糧探しをせざるを得ない状況です。
この時に彼を助けてくれたのが、幼い頃の日本文化素養の塾での
習い事でした。彼は好きだった絵を描く事で状況転換を試みます。
しかし、おいそれ上手いだけの絵を買い求めるお方はおりません。
これを助けたのが、長年の遊び友達だった二条綱平君でした。
二条綱平 (1672~1732) 後の関白
彼と光琳の遊び友達接点は、あの東福門院さんに行き着きます。
二条綱平の父は九条兼晴 (1641~1677)
母は賀子内親王 彼女の母は東福門院さん
又、九条兼晴の父は鷹司教平 (1609~1668)
母は文智女王 東福門院さんを見取った方
京都文化 ・文芸世界、お遊び空間で光琳と二条綱平は
会いたくなくても、何処かで逢ってしまいます。
多分、お遊び空間が最初と考えますが、
尾形光琳は綱平君にとってお兄さん的存在、
光琳は取って置きのテクニックを彼に伝授したに違いありません。
綱平君は光琳の所作・振る舞いを手本にして遊びに遊んだ・・・。
光琳が生活窮乏になった時点では、二条綱平は摂関家ですので、
一端の公家高級官僚の道を走り始めていた時です。
先ず、光琳を慕う二条綱平は 「絵」 に箔をつける為、
朝廷工作を以てして、光琳に 「絵師」 としての 「ブランド」
獲得作業に励みます。 間もなく、誰しもすぐには貰えない
「法橋」 をゲットし光琳にプレゼントします。
又、並行作業で綱平は 「絵」 を買うスポンサー探しに
一役買います。官僚ですのでここの所は得意中の得意の分野。
彼は、時間をおかず、美味しい成り上がり幕府官僚を紹介します。
この方が、この時点での超成り上がりの方だったのです。 続く。
*法橋とは絵師で第三番目の位です。一位は法印、二位は法眼。
この時代、僧位であった法印→法眼→法橋を
絵師 ・連歌師などの方々にスライド (slide) していました。
綻ぶ山桜
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