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2007年3月21日 (水)

浮世絵師、菱川師宣の誕生 36

 菱川師宣の絵読本のイラストが好評だったのか、
 呉服屋さん、及び、版元 (雑誌発行プロデューサー) から
 「デザインサンプル帳」=「ひいなかた」 のイラストを依頼されます。

 それが1682年~1684年に発刊された、
 「小袖のすがたみ」 と 「当世早流雛形」 です。
 ご覧頂けますとお分かり頂けますが、
 とっても大胆の大花柄や大菊と波柄。
 斬新な面分割デザインとお思いになりませんか。
 又、絵のモデルさんが女性ばかりではなく、
 この当時大人気の 「若衆」 (美少年) がモデルさんにも。
 1673年に若衆歌舞伎が江戸幕府により禁じられていましたが、
 どっこい、彼らの人気はお江戸八百八町隅々まで生きています。
 ジャニーズ事務所と同 (おんな) じ。
 但し、昨今、江戸時代と異なり、美形の男の子だけではなく、
 アンバランスのバランスがとれている男の子、
 隣にいそうな男の子
 がエントリーされ愛でられる男性が
 増えましたので良かったです?
 隣にいそうと記しましたが、
 決してあなたの近くに存在する男の子と
 イーブン (even) とは、決して思わないで下さい。
 彼らは、人知れず、陰では、けたたましい努力と献身の日々
 を送っているのですから。
 故に、アイドル (idol-boy) であり、スター (star) なのです。

 菱川師宣イラストのファッション誌で江戸中の女性達は、
 より、ファッションに目覚め、
 殿方、男性、又、同性の眼差しを浴びる事になりました。
 今の、私たちにとっては、日常ですが、
 この時代の印刷物は未だ 「白と黒の世界」。
 錦絵浮世絵未だ無、
 カラーでのファッション誌はもう少し時を待つ事になります。
 しかしながら、彼女らにとっては、携帯ワンセグサイト、動画と
 同等なショッキングな出来事だったのです。

 一方、印刷物でない 「浮世絵」 の世界 (肉筆画) では、
 江戸幕府御用達の狩野派の厳かな 「絵」 ではなく、
 師宣らの浮世絵師は
 庶民出身の女性を綺麗な色で表現しています。

 菱川師宣の晩年の作品、
 「見返り美人」 の振り袖着物の配色には
 思わず唸ってしまいます。

 ところで、皆さんは、
 振り袖見返り美人のモデルさんの 「首」 を心配されませんか?
 あんなに後ろに反り返ったら首がちぎれちゃいますよネ。
 でもご心配なく、師宣の見返り美人には秘密が・・・。
 「刺繍職人(縫箔師)から 絵師 菱川師宣へ」 をご覧頂けますと、
 「見返り美人」 の謎が解 (と) けると思います。 続く。

綻ぶ山桜
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綻ぶ山桜

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