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2007年3月19日 (月)

ひいなかたは京都から江戸  35

 「デザインサンプル帳」=「ひいなかた」 (小袖雛形本) の話に
 戻ります。

 京都で流布したファッション冊子は、
 やがて江戸に情報が持たされます。
 江戸の呉服屋さん達は
 こぞってファッション誌の発刊を手がけます。
 これにより、
 勢いお江戸庶民女性も小袖着物の 「ひいなかた」 を
 手にとって見る事が可能になりました。
 お江戸のお洒落女性は年を追う毎に
 急上昇しようとしている最中ですので、
 この 「ひいなかた」 は
 彼女らのお洒落心にますます火をつけました。

 1657年 「振り袖火事」 による復興需要で、
 庶民の皆さんは大忙し、
 建設・内装などの職人さん達はちょっぴり小金持ちに。
 彼らのお嬢さんのお洒落欲求はこの事で満たされる事に。
 需要と供給が相まって皆さん笑みが絶えません。

 そして、この「デザインサンプル帳」=「ひいなかた」 の作製に
 一役買ったのが、この時代のイラストレーターさん達。
 それらの方々は、「浮世絵の絵師」 さん達でした。

 その中でも、断トツの絵師さんは、
 浮世絵の創始者と云われている 「菱川師宣」 さん。
  (1631?~1694年) 彼は安房国 (今の千葉県) 生まれ、
 彼の父は、着物に刺繍を施す、縫箔師をしていました。
 多分、師宣は縫箔師のお父さんの背中を見て育ったのでしょう?
 ちいさな時から、綺麗な着物を間近にしていたと思います。
 最近では、コシノ母子関係の感じ。
 コシノヒロコ・ジュンコ・ミチコさん達は現在もご活躍中。

 菱川師宣は1672年 「武家百人一首」 と云う絵読本の
 イラストレーターとしてデビューしていました。   続く。

綻ぶ桜
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綻ぶ桜

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