江戸ファッション規制 金襴に 31
前回紹介済みの1663年 ・1683年の奢侈禁止令=美服禁止令も
春日局さんが絡んでいます。
若干こじつけ気味かも知れませんが。
何とは無しに、彼女の Will (意志) が
貫徹されている感じを受けるものですから。
江戸時代ファッション規制の奢侈禁止令は、素材規制に始まり、
着物生地の色 ・デザインまで及んでしまいました。
1661年~1673年の期間の 「寛文」 時代に流行った小袖は
通称 「寛文小袖」 と云われています。
この時期を以て、私どもは、
江戸庶民の女性の皆さんが初めて、
「ファッション」 に出逢った時と考えています。
加藤曳尾庵著の 「我衣 (わがころも)」 から
日本橋小舟町一丁目にお住まいだった商人、
石川六兵衛の内儀=奥さんが超高級素材の着物をお召し
になっていた事実が確認できます。
後に、第五代将軍徳川綱吉 (1646~1709) に咎められますが、
その顛末は 「初めて、ファッションが庶民へ」 をご覧下さい。
確認下さいますとお分かり頂けますが、
1643年発布の奢侈禁止令での 「紫 ・赤色」 着物規制なんて、
何のその。六兵衛奥さんのお付きのお嬢さんには、
緋縮緬の大振り袖を着せています。 緋は赤の鮮やかな色。
その色は 「日本の色 (伝統色)」 で確認できます。
彼女自身は 「金襴緞子」 のお着物でお洒落しています。
この事件以降、1683年の天和の禁令 (美服禁止令)で
金襴 (金糸刺繍織物)・総鹿の子絞りの小袖は
庶民の女性には禁止される事に相成るのです。
しかしながら、特に女性は 「お洒落」 規制には中々屈しません。
お江戸ファッションは、密かに潜行いたします。
この事柄に触れる前に、京都の着物事情に一旦戻ります。 続く。
*総鹿の子絞りは染色方法の一つで、現物を見た方が早いですが
言葉での無理矢理説明では、布を糸で強く括った部分を作り、
その箇所を染色しない技法です。括り方により文様柄を作製可。
括る作業に多大な時間を要しますので、基本的には部分柄として
用いられますが、生地 (布) 全体を括ったのが総鹿の子絞り。
鹿の子柄ですので、鹿の肌の感じ風の文様になります。
又、この染色カラー地が 「紅色」 の場合は、「辻が花」 と。
紅色の辻が花は室町後期時代に誕生しています。
辻が花の詳細は、
「武家女性の公服 レディ-スウェアー=ご婦人服」 をご覧下さい。
綻ぶ桜
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