« 尾形光琳と二条綱平との仲 38 | トップページ | 尾形光琳、お江戸に旅立つ 40 »

2007年3月27日 (火)

尾形光琳と中村内蔵助の仲 39

 そのお方は、
 中村内蔵助 (1669~1730) 京都の銀座年寄 でした。
 時は徳川綱吉の時代で元禄景気が頭をもたげた時点、
 更なる景気浮揚策 (インフレ政策) として
 1695年勘定吟味役 荻原重秀の金銀貨幣の改鋳案を企画。
 1696年萩原重秀は、ご褒美で、 「勘定奉行」 に昇進。
 決して経理パソコンソフトではありません。

 このインフレ政策は、大成功。 元禄景気は絶好調を迎えます。
 そんな折りの1699年に京都の銀座トップになった中村内蔵助。
 財務省造幣局京都支店のナンバーワンみたいな官僚ですから、
 それはそれは 「役得」 いっぱいです。
 この銀座は地価の高い銀座鳩居堂とは違います。

 この時代でも貨幣として、(江戸幕府内です。各藩は別)
 関西地区以西は 「銀貨」 関東地区以東は 「金貨」 が流通して
 いました。 京都は銀貨地区で 「銀貨」 流通圏でした。
 (もう一つ 「銭貨」 があり、こちらは銅製です。)
 貨幣鋳造所はこの時点では 「銀座」 は江戸と京都に、
 「金座」 は江戸のみ、今の 「日本銀行」 の場所にありました。
 因みに、銀は生野・石見銀山等から、
      金は佐渡・甲府等から産出していました。
 大判 ・小判と一分銀等の二つの貨幣が共存していましたので、
 今の日本橋○越さん、伊勢国松阪出身の創業者は、
 「越後屋」 の呉服屋さんと 「三井両替商」 の銀行を
 営んでおられました。 銀座の話はこれ位にして。

 中村内蔵助はお金の消費処に困っていたのでしょう。
 彼は、文化人箔付け行為として 「絵」 の購入には大変乗り気、
 そんな折りに、斬新絵師を紹介されれば 「渡りに船」 です。
 尾形光琳は単なる絵師ではなく、
 十分遊び経験のある絵師でしたので
 当然二人は、その方面でも馬が合ったと想像できますが・・・。
                  続く。

綻ぶ山桜
spacer
綻ぶ山桜

|

« 尾形光琳と二条綱平との仲 38 | トップページ | 尾形光琳、お江戸に旅立つ 40 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/79552/13388646

この記事へのトラックバック一覧です: 尾形光琳と中村内蔵助の仲 39:

« 尾形光琳と二条綱平との仲 38 | トップページ | 尾形光琳、お江戸に旅立つ 40 »