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2007年3月13日 (火)

京都着物ファッション事情 32

 東福門院 (徳川和子) さんは、禁裏空間に
 「小袖着物」 を着用する文化を導入しました。
 この事は、宮廷ファッション革命と云っても良いくらいです。

 この出来事が、今でも、着物の老舗が京都にある事実です。
 晴れ着としての 「着物」 から 「浴衣ファション」 まで。
 最近ではデザイナーブランド迄も着物ファッションを手がける始末。
 それはさておき、現在から江戸時代に戻ります。

 元々日本文化を醸成していた京都庶民女性層にとって、
 絢爛豪華な 「歩くモデルさん」 を模倣する事は、いとも簡単。
 (但し、お買いも求めできる方々だけですけど。)
 とは云う物の、歩くモデルさんを直に見る事は、中々不可能です。
 ここに京都庶民女性の 「幻想」 が膨らむ事に。
 又、噂を聞きつけて、畿内 ・及びお洒落な藩からも
 小袖着物註文が京都呉服商雁金屋さんに届き、
 雁金屋さんは大わらわ嬉しく・忙しい日々を迎える事になります。

 雁金屋さんは、東福門院さんのオーダー (order) を
 事細かく、繊細に記録していました。
 多分、これらの資料をどちら様かが利用したのでしょう。
 この 「デザイン画」 を利用して、
 「デザインサンプル帳」を拵 (こしら) える方が出現します。
 これがファッション雑誌の元祖。
 CanCam non-no 流行通信の先駆けです。
 元来日本人は 「模倣」 が大の得意中の得意。
 ディフュージョン (diffusion) 版の作製作業が真っ盛り。
 「アパレル (真似した) 産業」 のお手本かも知れませんネ。
 これは、今現在も継続中。
 雁金屋さん ⇒ ミラノ・パリコレクション
 ディフュージョン版の作製業者  ⇒ 日本のアパレル???
 ディフュージョン版製作者で現在、脚光を浴びているのが
                    「東京ガールズコレクション」。
 「絵」 が 「動く絵(動画)」 に変容。
 携帯 ピィッ・ポッ・パッ で 「似より商品」 がお手元にの構造。

 話を江戸時代に戻します。
 この事により、京都の街中はお洒落な女性で埋め尽くされます。
 汚いよりも美しく・綺麗に 越した事はございません。
 わたくしどもが東福門院 (徳川和子) さんを絶賛するのは
 この事実なのです。

 着物ファッションの原点は、東福門院 (徳川和子) さん。
 彼女は庶民層までファッションを普及させて下さった 「天女様」
 或いは、第一人者で掛け替えのない方と私どもは考えています。
                                                             続く。

綻ぶ桜
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綻ぶ桜

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