春日局、大奥衣装も担当 28
家光の奥様達は母として、徳川将軍位7代まで存続させます。
そして、大奥は春日局さんを頂点として組織されていました。
1618年に 「大奥法度」 を制定し、家光の成長を待つ日々。
しかし、彼は 「お坊ちゃま」 育ち、素敵な女性に囲まれての
生活が長かったのか、反動の 「女性嫌い?」 となり、
興味は専ら、お小姓達に。
彼らと戯れる年月が過ぎ行きます。
お福さんは1626年秀忠夫人のお江 (お(於)江与) さんの
他界後、女性として、徳川幕府では、№1の存在に。
1629年からは朝廷から頂いた新ネーム、春日局様。
役職は 「御年寄 (おとしより) = 通称、大奥総取締」
何とか家光を女性の方に目を向け誘うとの努力が
前回の結果です。
「美しい女性」 は何をお召しになっても美しいのですが、
「個の美」 をより多くの方々に知らしめる手っ取り早い方法は、
「美しい服 (小袖着物) を纏わせる事」 に尽きます。
もう一つの策は、「差異表示」 です。
美しい方をより美しく見せる応援団が必要になります。
役職により服飾規制を以てして、より美しさを際立たせてます。
そして、これらの大奥衣装 (小袖着物) を取り仕切ったのも
春日局様と云う事に相成ります。
こちらの服の詳細は 「江戸時代の女性衣装」 をご覧下さい。
この際の江戸呉服商の方がどちら様だったのかは不明ですが、
大量発注が大奥よりあった筈です。
その小袖着物ファッションセンスは、
京都文化感性をお持ちの、
春日局さん ⇒ お万の方 ⇒ 右衛門佐 (えもんのすけ)
(1579~1643)(1624~1711)(1650~1706)
と受け継がれ、
素敵な感性を兼ね備えた小袖着物ファッションが出現する事に。
(「徳川の夫人たち」 「続 徳川の夫人たち」 吉屋信子著を参考)
続く。
蕾の桜
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