« 春日局、武家文化を死守 27 | トップページ | 大奥組織階層 着物で差異 29 »

2007年3月 5日 (月)

春日局、大奥衣装も担当 28

 家光の奥様達は母として、徳川将軍位7代まで存続させます。
 そして、大奥は春日局さんを頂点として組織されていました。
 1618年に 「大奥法度」 を制定し、家光の成長を待つ日々。
 しかし、彼は 「お坊ちゃま」 育ち、素敵な女性に囲まれての
 生活が長かったのか、反動の 「女性嫌い?」 となり、
 興味は専ら、お小姓達に。
 彼らと戯れる年月が過ぎ行きます。

 お福さんは1626年秀忠夫人のお江 (お(於)江与) さんの
 他界後、女性として、徳川幕府では、№1の存在に。 
 1629年からは朝廷から頂いた新ネーム、春日局様。
 役職は 「御年寄 (おとしより) = 通称、大奥総取締」
 何とか家光を女性の方に目を向け誘うとの努力が
 前回の結果です。

 「美しい女性」 は何をお召しになっても美しいのですが、
 「個の美」 をより多くの方々に知らしめる手っ取り早い方法は、
 「美しい服 (小袖着物) を纏わせる事」 に尽きます。

 もう一つの策は、「差異表示」 です。
 美しい方をより美しく見せる応援団が必要になります。
 役職により服飾規制を以てして、より美しさを際立たせてます。
 そして、これらの大奥衣装 (小袖着物) を取り仕切ったのも
 春日局様と云う事に相成ります。
 こちらの服の詳細は 「江戸時代の女性衣装」 をご覧下さい。

 この際の江戸呉服商の方がどちら様だったのかは不明ですが、
 大量発注が大奥よりあった筈です。

 その小袖着物ファッションセンスは、
 京都文化感性をお持ちの、
 春日局さん ⇒ お万の方  ⇒ 右衛門佐 (えもんのすけ)
 (1579~1643)(1624~1711)(1650~1706)
 と受け継がれ、
 素敵な感性を兼ね備えた小袖着物ファッションが出現する事に。
 (「徳川の夫人たち」 「続 徳川の夫人たち」 吉屋信子著を参考)
                                                             続く。

蕾の桜
spacer
蕾の桜

|

« 春日局、武家文化を死守 27 | トップページ | 大奥組織階層 着物で差異 29 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 春日局、大奥衣装も担当 28:

« 春日局、武家文化を死守 27 | トップページ | 大奥組織階層 着物で差異 29 »