春日局、武家文化を死守 27
<徳川家光の奥様とお子様達>
家光の箔付け ・表向きの奥様は、
・五摂家の鷹司孝子さん。(1602~1674)
父は鷹司信房、母は佐々成政の輝子お嬢さん。
彼女に男の子ができますと、朝廷文化の攻勢を食らいますので、
春日局さんは江戸武家文化を守る為?、家光のお嫁さんを
武家のお嬢さん、江戸庶民の娘さんから探しに捜します。
家康は政策として
(京都権威) ⇒ 武 (士) ⇒ 庶民 (農 ・工 ・商) ⇒ 選民 (誤字)
と 「クラス分け (階層制度)」 をしていましたので
もののふ (武士) 以外は庶民の皆さんになります。
家光の奥様になられた方の中で、
異色は、家光好みの 「お万の方 (後の永光院)」 の存在。
彼女は下級公家のお嬢さんで、
幼くして伊勢国の尼寺 「慶光院」 で仏門に入っておられました。
家光のたっての願いで、春日局は彼女を還俗させ、大奥へ。
・お万の方 父は六条有純 (三条西実条の仲間) (1604~1644)
(1624~1711) 才色兼備であったとの事。
以上のお二人にはお子さんがおできになりませんでした?
公家系以外の方々は
・お振の方 彼女の親の仕事は不明 (?~1640)
千代姫 (1637~1698) 尾張国名古屋藩主の奥様に
・お楽の方 父は元農作業従事者 (1621?~1652)
徳川家綱 (1641~1680) 第4代将軍に
・おまさの方 彼女の親の仕事も不明 (?~?)
亀松 (1643~1647)
・お夏の方 父は京都の庶民 鷹司孝子の下働き (1622?~1683)
徳川綱重 (1644~1678) 甲斐国甲府藩主になる
・お玉の方 父は京都の庶民 お万の方の下働き (1627?~1705)
徳川綱吉 (1646~1709) 第5代将軍に
・お里佐の方 父は朝廷小役人 鷹司孝子の侍女 (?~1674)
鶴松 (1647~1648)
・お琴の方 父はお寺の住職さんとか? (1614?~1691)
彼女はお子さんを生んでいないので書物記載無しで不明
上記の内、お振 ・お楽 ・おまさ ・お夏 ・お玉 ・お琴さんらは、
下世話なもの言いですと、「氏素性がはっきりしない方」 です。
春日局さんが氏素性がない、
本当の庶民の女性を家光の奥様にして下さったお陰で、
江戸幕府の武家文化が260年程続いたと云っても
過言ではないでしょうか。
やがて、明治の世を向かえ、
武家文化が新渡戸稲造 (1862~1933) (盛岡藩士の息子)
により 「武士道」 と変貌、外国の方々の幻想を生み、
日本人の精神的基盤と誤解されがちですが、
今日現在でも武家文化が脈々とわたくしどもの 「心音・根」 に
残照を留めているやも知れません。
その意味では、春日局さんは武士道の母になるかも。 続く。
蕾の桜
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