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2007年3月 3日 (土)

春日局、武家文化を死守 27

 <徳川家光の奥様とお子様達>

 家光の箔付け ・表向きの奥様は、
・五摂家の鷹司孝子さん。(1602~1674)
 父は鷹司信房、母は佐々成政の輝子お嬢さん。

 彼女に男の子ができますと、朝廷文化の攻勢を食らいますので、
 春日局さんは江戸武家文化を守る為?、家光のお嫁さんを
 武家のお嬢さん、江戸庶民の娘さんから探しに捜します。

 家康は政策として
 (京都権威) ⇒ 武 (士) ⇒ 庶民 (農 ・工 ・商) ⇒ 選民 (誤字)
 と 「クラス分け (階層制度)」 をしていましたので
 もののふ (武士) 以外は庶民の皆さんになります。

 家光の奥様になられた方の中で、
 異色は、家光好みの 「お万の方 (後の永光院)」 の存在。
 彼女は下級公家のお嬢さんで、
 幼くして伊勢国の尼寺 「慶光院」 で仏門に入っておられました。
 家光のたっての願いで、春日局は彼女を還俗させ、大奥へ。
・お万の方 父は六条有純 (三条西実条の仲間) (1604~1644)
 (1624~1711) 才色兼備であったとの事。

以上のお二人にはお子さんがおできになりませんでした?
 公家系以外の方々は

・お振の方 彼女の親の仕事は不明 (?~1640)
  千代姫 (1637~1698) 尾張国名古屋藩主の奥様に

・お楽の方 父は元農作業従事者 (1621?~1652)
  徳川家綱 (1641~1680) 第4代将軍に

・おまさの方 彼女の親の仕事も不明 (?~?)
  亀松  (1643~1647)

・お夏の方 父は京都の庶民 鷹司孝子の下働き (1622?~1683)
  徳川綱重 (1644~1678) 甲斐国甲府藩主になる

・お玉の方 父は京都の庶民 お万の方の下働き (1627?~1705)
  徳川綱吉 (1646~1709) 第5代将軍に                   

・お里佐の方 父は朝廷小役人 鷹司孝子の侍女 (?~1674)
  鶴松  (1647~1648)

・お琴の方 父はお寺の住職さんとか? (1614?~1691)
  彼女はお子さんを生んでいないので書物記載無しで不明

 上記の内、お振 ・お楽 ・おまさ ・お夏 ・お玉 ・お琴さんらは、
 下世話なもの言いですと、「氏素性がはっきりしない方」 です。
 春日局さんが氏素性がない、
 本当の庶民の女性を家光の奥様にして下さったお陰で、
 江戸幕府の武家文化が260年程続いたと云っても
 過言ではないでしょうか。

 やがて、明治の世を向かえ、
 武家文化が新渡戸稲造 (1862~1933) (盛岡藩士の息子)
 により 「武士道」 と変貌、外国の方々の幻想を生み、
 日本人の精神的基盤と誤解されがちですが、
 今日現在でも武家文化が脈々とわたくしどもの 「心音・根」 に
 残照を留めているやも知れません。
 その意味では、春日局さんは武士道の母になるかも。 続く。

蕾の桜
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蕾の桜

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