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2007年3月 1日 (木)

大奥とは世継ぎ対策空間 26

 前回の様な事情ですので、フィクション を以てして
 類推の術 (すべ) を駆使せざるを得ない事になります。

 しかしながら、事、服 (小袖着物) に関しては、
 絡まった糸を解き解す手だてがお陰様で存在するのです。

 その前に 「大奥」 の成り立ちについて

 大奥とは将軍職を徳川家康、後の東照大権現の血脈を
               絶やさずに繋ごうとしたシステムです。

 家康は1603年に征夷大将軍の職を獲得します。その後、即、
 1605年に息子の秀忠 (1579~1632) を将軍位にします。
 敵対組織の大名 ・宗教軍団 (寺社) ・権威朝廷に対する、 
 懐柔策に目処がつくと、秀吉の体たらくの徹を踏むことなく、
 徳川ファミリーの長期政権維持構想として世継ぎ対策に。

 1607年江戸城内に 「世継ぎ対策空間=大奥」 を建造します。
 この空間=大奥が、後に春日局が取り仕切る女性軍団組織、
 殿方達がなぜか鼻の下を長くする大奥の原初でございました。

 この時点で、徳川家は、4歳の家光と2歳の忠長が健在です。
 家光は春日局、忠長はお江 (お(於)江与) さんがサポート。
 この時点では、遥か先を読んだ手堅く綿密な大奥企画でした。

 大奥を企図した家康 (1542~1616) はまだまだ頑張ります。
 「英雄色を好む」 ではなく、「好むからこそ英雄」 なのです。
 好むから、「気力」 「知力」 「体力」 が充実しているのです。
  徳川一家では十一代将軍の家斉が云々 (うんぬん) されますが、
 公になっている文書に於いても、
 家康がお付き合いされた女性は家斉を遥かに勝っています。
 家康最後のお子様は、1608年にお勝の方 (1578~1642) が
 市姫 (1608~1610) お嬢さんを産んでおられます。
 家康は 「長子相続」 を明確にし、家光を三代将軍とし、
 色々難癖を付け1615年豊臣秀頼を抹殺し、
 翌年1616年に何も憂いを残さず75歳の生涯の幕を閉じます。

 そして、家康の意志を受け継ぎ、
 我が子?家光のお嫁さんと、お子様に
 上を下への世話を焼いた方が 「春日局」 さんなのです。 続く。

蕾の桜
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蕾の桜

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