みやび 十二単 平安時代中期 サイトマップ
この頁は、
「みやびと服 ・十二単 平安時代 中期」 の目次です。
おおよそ、タイトルで内容がご理解頂けると思います。
1 みやびと服 ・・・・・・・・・・・1~9はイントロ
2 みやびと服 (色の違い)
3 みやびと服 (もののあわれ)
4 みやびと服 (平安衣装)
5 みやびと服 (顔料と染料)
6 みやびと服 (最後の晩餐)
7 みやびと服 (絵・空・事)
8 みやびと服 (雅とは)
9 みやびと服 (記号消費)
10 十二単とはレイヤードルック ・・・ここから十二単の概要
11 十二単 (檜扇・帖紙)
12 十二単 (色取り取り)
13 十二単 (重ね着)
14 十二単 (重さ・枚数)
15 十二単 (枕草子)
16 十二単 (機能性)
17 十二単 (清少納言) ・・・・・・大の人気ページです。
18 十二単 (自然色)
19 十二単 (桜襲の色) ・・・・・・ 桜襲はさくら色
20 十二単 (光の三原色) ・・・・・ 光のお陰で色展開
21 十二単 (原始女性は太陽) ・・・その光は太陽=女性
22 十二単 (子産みマシーン) ・・・ 女性は器具ではありません
23 十二単 (「たくみ(匠)」) ・・色の魔術師
24 十二単 (命婦のおとど) ・・・・ 色の現実
25 みやびと服 (RGB) ・・・・・・RGBとCMYKの色違い
26 十二単 (旧暦・春夏秋冬) ・・・ 旧暦の季節感は実感通り
27 襲色目 (春は曙・あけぼの) ・・春の草花
28 襲色目 (夏は夜) ・・・・・・・ 夏の草花
29 桜 ・橘 左大臣・右大臣
30 襲色目 (秋は夕暮れ) ・・・・・秋の草花
31 襲色目 (冬はつとめて) ・・・・冬の草花
32 襲色目 (梅・桜・藤)
33 襲色目 (観て・見て・感じる)
34 襲色目 (満佐須計装束抄)
35 襲色目 (曇華院殿装束抄) ・・・十二単秋の画像
36 襲色目 (十二単・絵・冬) ・・・十二単冬の画像
37 襲色目 (十二単・絵・春) ・・・十二単春の画像
38 襲色目 (十二単・絵・夏) ・・・十二単夏の画像
39 匂い (心には下行く水の) ・・・春夏秋冬
40 匂い (補色 1) ・・・・・・・・花の色の補色 1
41 匂い( 補色 2) ・・・・・・・・花の色の補色 2
42 匂い (グラデーション) ・・・・自然界のグラデーション
43 匂い (雪月花 ・紫) ・・・・・・季節の移ろい
44 匂い (花名が色名に) ・・・・・これは、そのまま
45 匂い (藤原道長 ・源高明) ・・・藤原道長の登場
46 みやびと服 『匂い。』
47 匂い (補色 ・グラデーション) ・ 色のまとめ
48 正絹布 織り文様 枕草子 ・・・・ 十二単の生地 ・織物
49 正絹布 羅 練絹 ・・・・・・・・ 十二単の色無地 生地
50 正絹布 (衣冠束帯) ・・・・・・・ 束帯は礼装、衣冠は略装
51 布色形 (掻練襲・懐練襲) ・・・ 清少納言の好きな懐練襲
52 布色形 (懐練襲の下襲) ・・・・ 深紅のお洒落アイテム
53 女と男の心模様 (出逢い) ・・・・ 平安の世の恋
54 女と男の心模様 (夜の静寂) ・・・恋の始まりは夜から
55 女と男の心模様 (局・几帳) ・・・男が訪れる、通い婚
56 女と男の心模様 (出だし衣) ・・・見えそうで見えない技
57 女と男の心模様 (読み解き) ・・・恋の奥深さ
58 女と男の心模様 (差異表示) ・・・恋の 「ビィ」 は、瞬時
59 心模様 『感じ方。』 ・・・・・・ほのかな明かり
60 心模様 『光景』 と 『情景』 ・・・恋に暑さ寒さは無用です
61 心模様 『みやびな気持ち』
62 心模様 『藤原道長の心』 ・・・・究極の藤原道長さん
63 みやびと服 (十二単) ・・・・・・藤原道長あっての十二単
64 十二単 五色の糸 と をかし ・・・ をかしは清少納言
更に、十二単、平安衣装の詳細は、
「十二単 絵 等」
「十二単 資料」
「平安朝 (平安時代) 衣装」
「続 平安朝 (平安時代) 衣装」
「平安後期~鎌倉時代の衣装」
をご覧下さい。 よりみやびの世の凄さがお解り頂けます。
☆摂関政治を極めた、藤原道長さん、この平安時代中期に
「みやび」 な感性を日本の土壌にしっかり植え付けました。
彼を取り巻く、清少納言、紫式部、和泉式部、赤染衛門などの
文学をなさった女性の皆様のお陰で、この平安時代の十二単を
代表とする衣装 ・服を伺う事ができます。
総てのカラーコーディネートは、季節を取り入れた色 ・色 ・色。
人間の感性と自然の風景とのコラボレーション。
五感と一感を以て、触れる世界との自己融合。
この素敵でお洒落なみやびな感性の存在無しでは、
次の時代の感性も、この世に生まれ出る事は不可能でした。
否、この雅な感性は、今の世の現在、
これ程経済的背景が進んだ日本で生活する私達、
総ての憧れの感性であると云っても過言ではありません。
確かに、装うフォルムはこの平安時代の着物から、
西洋文化を取り入れた、「洋服」 に変容しています。
しかしながら、装うわたくし達の 「感性」 = 感じる心は、
このみやびな世界の感性を受け継いでいます。
ほのかで、たおやかな、何とも詞で表現できない繊細な感性。
それでいて、おおらかで、大胆な心の振る舞い。
この平安時代で培った日本人の素敵な感性を皆様もお大事に。
更に、この平安時代中期頃までは、
太古より続いていた発想の男性に対する女性の存在優位性。
次の院政から武家政権時代になり、
何故か 「腕力」 のみに重点を置く男性優位社会に変貌します。
故に、時の大臣 (おとど) が 「女性は子を産む機械 ・装置」 と
常、日頃、心に存在するお気持ちが、「詞」 として表明されます。
みやびな世の平安時代では、男性にとって女性は蔑視される
存在ではなく、とても崇められ、大事にされていました。
その証拠は、「妻問い婚 (通い婚)」 です。
夜な夜な男性の皆さんは女性の許に通う毎日でした。
日本文化由縁の 「権威の象徴」 である 「帝」 でさえ、
内裏 (天皇のお住まい) が消失した際は、奥様の許で、
ご一緒に生活をなさいました。(里内裏)
帝の奥様の実家が 「皇室(禁裏)」 になってしまうのです。
又、摂関政治体制の崩壊も、たまたま、女性の方々が、
男のお子さんをこの世に送り出す事ができなかったからです。
女性の方々がお子さんをお生み下さっての 「物種」 です。
この平安時代中期に活躍された、キャリアウーマンの走り、
藤原道長さんを取り巻く清少納言 ・紫式部さん達、
彼の母、お嬢さん、息子さん達が織りなすこの時代の模様に
関しましては、
「平安時代のキャリアウーマン(女房)」
「続 平安時代のキャリアウーマン(女房)」 をご覧下さい。
白河天皇の院政時代に里内裏が消滅している事実が確認可。
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