粋・いなせ と服 安土桃山・江戸時代 サイトマップ
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「粋・いなせ と服 安土桃山・江戸時代 」 の目次です。
1 粋(いき)・鯔背(いなせ)と服 1
2 粋(いき)・鯔背(いなせ)と服 2
3 粋(いき)・鯔背(いなせ)と服 3
4 フーテンの寅さんの 「粋」
5 フーテンの寅さんの 「側」
6 寅さんファッションは粋?
7 庶民 ゆえの 粋・いなせ
8 庶民 だから 粋・いなせ
9 庶民 こその 粋・いなせ
10 有るようで無いもの
11 無いようで有るもの (夢・幻)
12 着物がファッションに
13 金襴 ・銀襴緞子の着物
14 「お金」 も輸入していた日本
15 織田信長のファッションセンス
16 金襴顧客 淀殿 お初 お江与
17 慶長小袖と堺商(職)人
18 お市の方のお孫さん達
19 着物ファッション = 徳川和子
20 春日局と徳川和子
21 近衛前久と勧修寺晴子
22 再度、春日局と徳川和子
23 東福門院は宮中に着物を
24 東福門院と呉服商雁金屋
25 江戸時代 大奥とは一体何
26 大奥とは世継ぎ対策空間
27 春日局、武家文化を死守
28 春日局、大奥衣装も担当
29 大奥組織階層 着物で差異
30 奢侈禁止令 = 美服禁止令
31 江戸ファッション規制 金襴に
32 京都着物ファッション事情
33 絢爛の背景 修学院離宮
34 素敵な東福門院の優しさ
35 ひいなかたは京都から江戸
36 浮世絵師、菱川師宣の誕生
37 尾形宗謙⇒尾形光琳・乾山
38 尾形光琳と二条綱平との仲
39 尾形光琳と中村内蔵助の仲
40 尾形光琳、お江戸に旅立つ
41 京都 東山衣装競べ (比べ)
42 京都西陣織と京友禅
43 鈴木春信 fashion誌をカラー化
44 鈴木春信と瀬川路考
45 吉原女性(花魁)と庶民
46 明和の三美人 笠森お仙
47 田沼意次はケインジアン
48 田沼意次と徳川吉宗
49 木と紙の日本文化
50 葦原が吉原に
51 明暦の大火、「振り袖火事」
52 明暦の大火で都市大改造
53 江戸の消火は破壊消防
54 江戸町火消し、いろは45組
55 服地の天然素材は
56 「絹」ファッション(fashion)Ⅰ
57 「絹」ファッション(fashion)Ⅱ
58 「絹」ファッション(fashion)Ⅲ
59 「絹」ファッション(fashion)Ⅳ
60 「絹」ファッション(fashion)Ⅴ
61 「麻」ファッション(fashion)Ⅰ
62 「麻」ファッション(fashion)Ⅱ
63 「麻」ファッション(fashion)Ⅲ
64 亜麻 リネンと苧麻 ラミー Ⅳ
65 「綿」ファッション(fashion)Ⅰ
66 「綿」ファッション(fashion)Ⅱ
67 「綿」 海島綿 Ⅲ
68 「綿」 エジプト綿 Ⅳ
69 「綿」 糸と糸偏 Ⅴ
70 「綿」ファッション(fashion)Ⅵ
71 「綿」ファッション(fashion)Ⅶ
72 「綿」ファッション(fashion)Ⅷ
73 縞 ストライプ・チャック柄 Ⅸ
74 天然素材と世界四大文明
75 「毛」ファッション(fashion)Ⅰ
76 「毛」ファッション(fashion)Ⅱ
77 「毛」 メリノ種羊毛 Ⅲ
78 「毛」 メリノ種羊毛 Ⅳ
79 「毛」 英国種羊毛 Ⅴ
80 「毛」 雑種羊毛 Ⅵ
81 獣毛 ビキューナ等 Ⅶ
82 獣毛 カシミア Ⅷ
83 トルコのモヘア・アンゴラ Ⅸ
84 高級紳士服地のウール Ⅹ
85 江戸時代の鬼才 平賀源内
86 平賀源内 羊を飼育 毛織物に
87 アートディレクター平賀源内
88 えーとアートは美の追究
89 多種多芸でマメな平賀源内
90 女・男性共にマメな平賀源内
91 粋で鯔背で素敵な平賀源内
92 いなせで粋な榊原政岑
93 粋で才色兼備な高尾太夫
94 高尾太夫、姫路へ趣く
95 「儒教精神」は「倹約奨励」
96 榊原政岑と高尾太夫は越路
97 粋な徳川宗春 v.s. 吉宗
98 鯔背な徳川宗春、重商主義
99 昼夜、元気経済、宗春政策
100 庶民の味方、徳川宗春
101 徳川宗春の心地よさ
102 徳川吉宗後の将軍と御三卿
103 地方分権なら松平定信
104 儒教が大好き、松平定信
105 無粋な?松平定信
106 風流に程遠い松平定信
107 江戸時代京都みやび事情
108 江戸時代の京都禁裏空間
109 江戸時代のお世継ぎ問題
110 光格天皇と松平定信
111 松平定信 ・徳川治済の世
112 徳川家斉と松平定信
113 レジームからの脱却
114 芸能民 = アーティスト
115 歌舞伎役者の変遷
116 歌舞伎役者は女性と若衆
117 幕府の歌舞伎役者規制
118 残る歌舞伎芝居小屋の逆襲
119 江戸歌舞伎芝居小屋の工夫
120 和事、荒事、敵、役者
121 荒事は差詰めハリウッド映画
122 敵役はダーティーヒーロー
123 和事は醸成された超本能?
124 脚本作家、近松門左衛門
125 新演出 人形浄瑠璃 の誕生
126 女形 芳澤あやめの出現
127 女と男、男と男、女と女
128 江戸トレンディー女優=太夫
129 夕霧太夫をお芝居に
130 天草四郎と島原、夕霧太夫
131 女形とは女心に触れたお方
132 女心の極めつけ=女形?
133 芳澤あやめのご努力
134 芳澤あやめと松尾芭蕉
135 あやめと芭蕉の斬新性
136 団十郎を凌ぐ芳澤あやめ
137 スター誕生、見せざる努力
138 女形の所作はなぜ素敵?
139 あやめの生きた元禄時代
140 お江戸元禄、庶民も元気
141 江戸で花咲く三井越後屋店
142 あやめの弟子、瀬川菊之丞
143 二代目瀬川菊之丞(路考)
144 路考茶 路考髷 路考帽
145 ブランド三世代続く
151 3世代続くとブランドは盤石
152 他者を潤す儒学(儒教)とは
153 DOO-TOKUってお得な道徳
154 お得な生活の日々暮らし
155 ポイントカードってほんとお得
156 天の時、地の利、人の和
157 漢字(感じ)は絵文字の元祖
158 仁・義・礼・智・信じて
159 徳川幕府を支えた朱子学
160 大人の見識?論理の宿命
161 修道士、佐久間甚九郎正勝
162 蛮カラのキリスト教?
163 天動説の林羅山 (儒者)
164 地動説 佐久間甚九郎正勝
165 林羅山v.s.佐久間甚九郎
166 林羅山v.s.佐久間甚九郎2
167 戦前?迄続く儒学思想
168 海外ブランドに挑む国学者
169 日本の神々と仏教伝来
170 海外BR仏教を受入る日本
171 百済留学 女性(善信尼)達
172 日光月光菩薩は女性・男性
173 日光・月光菩薩は女性像
174 脚光浴びるインドファッション
175 脚光浴びた仏像群達
176 シンプルファッション如来像
177 病気を癒す薬師如来像
178 現世ご利益、薬師如来像
179 大日如来像は天照大神
180 色彩曼荼羅・大日如来像
181 ファショナブルな大日如来像
182 両界曼荼羅図の宇宙観
183 浄土へ誘う阿弥陀如来像
184 変身変化の観世音菩薩
185 中宮寺 母なる弥勒菩薩像
186 お地蔵さんは、なな何と菩薩
187 不動・愛染明王は強面
188 四方を守る四天王像
189 大黒天は大国主命と融合
190 弁才 (財) 天は軽大郎女か
191 国際色豊かな七福神
192 薬師寺の吉祥天は光明皇后
193 他の天部の神々(仏)達
194 道教 北極星・太一星・紫色
195 道教 自然崇拝 月・日・星々
196 陰陽道(説)は天と地・女と男
197 五行説は木・火・土・金・水
198 五行説の五行配当模様
199 五行説の五神と五虫
200 五行説の五金と五節句
201 五行説の五常・五☆と五感
202 時を刻み続けるカレンダー・暦
203 初春を寿ぎ 暦の二十四節気
204 旧暦 太陽太陰暦の仕組み
205 旧暦と陰陽五行説はお友達
206 旧暦・十干十二支・陰陽五行説
207 時刻と十二支の陰陽説
208 方位・十二支・陰陽五行説
209 嫌われた丑寅・鬼門・艮(八卦)
210 八卦後天図 丑寅の隅の段
211 江戸暦 貞享・宝暦・寛政・天保暦
212 明治政府、苦しい改暦事情
213 ナウイ肌感覚の自然歴
214 道教・神仙思想・亀仙人・廬生
215 霊草・奇薬・仙人なる幻想
216 蓬莱山(理想郷)始皇帝・徐福
217 玄宗皇帝の元気は霊芝のお陰
218 楊貴妃の美貌は茘枝のお陰
219 道教とはおちゃめなあるがまま
220 グーグルアースの地球と日本
221 日本列島への3侵入ルート
222 日本列島人の誕生
223 神話、古事記を紐解くと
224 日本と日本の神々 誕生
225 日本の神々・仲良しペアー神
226 仲良し 伊邪那岐命と伊邪那美命
227 古事記 お二人のささやき合い
228 古事記のイントロ 国生み
229 艶なる古事記読み
230 ホットでクールな伊邪那美命
231 湧き出る古事記の自然神々
232 美蕃登見炙は活火山の噴火
233 豊宇気毘売は豊饒の化身
234 伊邪那美命 最後に豊饒神制作
235 伊邪那岐命は現代お坊ちゃま風
236 黄泉國(国)とは土=黄色
237 土に還る伊邪那美命の姿
238 黄泉の国からの脱出劇
239 桃のお陰で伊邪那岐命は
240 稗田阿礼の先見性やも
241 伊邪那岐命の服と小物
242 伊邪那岐命の禊ぎの神1
243 伊邪那岐命の禊ぎの神2
244 伊邪那岐命の禊ぎ究極3柱神
245 一姫二太郎は理想的
246 母を慕う建速須佐之男命
247 超ー激怒、伊邪那岐大御神
248 天照大御神が美武装
249 建速須佐之男命 V.S. 天照大御神
250 須佐之男命の落とし種 宗像三女神
251 天照大御神は玉の五男
252 吉凶占いの結果は如何に
253 速須佐之男命の命倶楽部
254 命倶楽部で子供手当てを
255 初春 天照大御神の甦生
256 玉・鏡・御幣で着飾った賢木(榊)
257 天宇受賣命のタップダンスショー
258 還って来られた天照大御神
259 常世長鳴鳥(鶏)のギャグ
260 女性は鏡と大のお友達
261 騙され上手な天照大御神
262 日の巫女、天照大御神
263 大氣都比賣神、料理を振る舞う
264 大氣都比賣神は蘇生し衣食を足らす
265 神産巣日御祖命が再登場
266 五穀の起源迄の日本の神々(古事記)
267 中国創世神話、盤古の場合
268 古事記での創世神話は
269 建速須佐之男命の新たな旅立ち
270 櫛名田比賣の登場
271 八俣遠呂智(おろち=大蛇)は一体、何?
272 単刀直入な建速須佐之男命
273 八俣大蛇 騙し退治は姑息
274 草薙剣(太刀)を発見
275 洒落がきつく詩を詠む須佐之男命
276 子作りに勤しむ須佐之男命と末裔
277 婚活、子供手当なしでも自然に
278 五つの名を持つ大國(国)主神
279 古事記、稻羽之素菟の原文
280 稲羽(因幡)の八上姫へ赴く
281 丸々裸のうささん
282 稲羽(因幡)の氣多前(けたみさき)騒動
283 稲羽(因幡)の素菟(兎)は泳げなかった
284 悉剥我衣服を深読みすると
285 お肌に良い、真水とパウダー(蒲黄)
286 稻羽(因幡)之素菟の正体は
287 旧暦7/7棚機津女=七夕伝説
288 梅原猛さんの稻羽(因幡)之素菟読み
289 梅原猛さんの八岐大蛇読み
290 うさ(宇佐)さんのお告げ=ご神託
291 なぜ、伯岐國之手間山へ
292 赤猪ハグする大穴牟遲(大国主神)
293 男になる大穴牟遲(大国主神)
294 大穴牟遲(大国主神)の更なる試練
295 お久しぶりな須佐能男命
296 逞しい葦原色許男に須勢理姫
297 葦原色許男、難関クリアー
298 鼠さんが葦原色許男を救う
299 二人の愛に降参の須佐之男命
300 軽率な脱出劇にあらず
301 葦原色許男が大国主神に
302 宇都志国玉神のたま・珠・玉・霊・魂
303 たま・霊・魂を語る折口信夫氏
304 「霊魂の話」 折口信夫氏
305 宇都志国玉神は美玉(魂)の持ち主
306 あらまたの年2011年 玉振りを
307 美刀阿多波志都(みと あたはしつ)
308 才媛、沼河姫(比賣)登場
309 古事記ラブメール往信
310 古事記ラブメール返信
311 明日夜爲御合也、奥床し
312 須勢理姫命の嫉妬心
313 大国主神の拙い云い訳
314 阿多泥は茜の根?
315 須勢理姫命、貴女を一番好き?
316 須勢理姫命の名口説き
317 須勢理姫命の殺し文句
318 須勢理姫命からのラヴ要求
319 神語は恋のやり取り
320 大國主神、数多の末裔を
321 大國主神の奮戦記
322 賀茂(鴨)大御神、賀茂祭 (葵祭)
323 神産巣日神の子、少名毘古那神
324 神産巣日御祖命の再々登場
325 奇妙な少名毘古那神
326 倭之青垣東山上に斎奉れ
327 楽浪海・帯方東南大海中に倭人
328 日本国は倭国の別種なり
329 又なる急展開な古事記
330 大年神の末裔は農耕・自然神
331 高天原から出雲国に派遣される神々
332 天菩比神と天若日子を派遣
333 天若日子の目論見
334 天佐具女の進言で射られる雉名鳴女
335 還矢可恐 雉之頓使の語源
336 阿治志貴高日子根神の弔い模様
337 建御雷之男神、古事記原文
338 建御雷之男神の登場
339 事代主神の登場
340 建御名方神の登場
341 大国主神、高天原側に屈服 古事記原文
342 大国主神、高天原側との条件交渉
343 日本は古来より魚料理に舌鼓
344 天孫降臨、古事記原文
345 色香漂う天宇受女命の再登場
346 天照大御神奪還作戦メンバー再登場
347 三種の神器と母性遺伝
348 古事記出稿時の伊勢神宮
349 古事記出稿時の血脈説明
350 竺紫日向之高千穗???
351 大伴金村⇒伴善男と久米歌・舞
352 笠沙岬に真っ直ぐで朝日・夕日が射し照る所
353 猿女君 比良夫貝 海鼠 古事記原文
354 猿女君、か弱き女性にご無代?
355 木花之佐久夜姫 古事記原文
356 木花之佐久夜姫に一目惚れ
357 木花之佐久夜姫と石長姫
358 木花之佐久夜姫ご懐妊、古事記原文
359 木花之佐久夜姫の感性論理
360 木花之佐久夜姫、三人の男子を出産
361 海幸彦と山幸彦 古事記原文
362 魚食系の海幸彦と肉食系の山幸彦
363 肉食系の火遠理命=山幸彦の合理主義
364 火遠理命=山幸彦 綿津見神(海神)の宮へ
365 綿津見神(海神)の宮 古事記原文
366 安楽で甘美な綿津見神(海神)の宮
367 夢覚ます山幸彦 古事記原文
368 玉手箱でなく塩盈珠・塩乾珠の贈り物
369 和邇魚に乗る火遠理命=山幸彦 古事記原文
370 和邇魚は海人の暗(隠)喩では
371 豊玉姫命のお産 古事記原文
372 豊玉姫命のお産にあたり
373 古事記上巻ラスト原文
374 豊玉姫命の妹、玉依姫命の登場
375 山幸彦 伍佰捌拾歳(580年)生存?
376 神倭伊波礼毘古命(神武帝) 誕生
377 神倭伊波礼毘古命軍団 日向発つ
378 神倭伊波礼彦命達の遠征
379 神武軍団九州を後にし山陽道に
380 速吸門での釣り人 槁根津日子
381 登美能那賀須泥彦軍が神武帝軍団を粉砕
382 五瀬命に矢が的中
383 神武帝軍 熊野着 古事記原文
384 強靱な横刀は布都神(ふつのかみ)
385 八咫烏登場 古事記原文
386 八咫烏 八千矛神 八上姫
387 八咫烏 熊野詣でパワーアップ
388 到吉野河之河尻 お尻に火が
389 生尾人(山里人) 井氷鹿と石押分之子
390 兄宇迦斯と弟宇迦斯の振る舞い
391 空飛ぶ鯨と釣った魚は
392 神武帝ついに大和制圧 古事記原文
393 神武帝大和騙し討ち制圧
394 宇知弖斯夜揺牟、「攻撃」の久米歌
395 久米歌 早く食事をお願い
396 物部氏の祖、邇藝速日命が登場
397 大和在住美人、伊須気余理姫が登場
398 大物主神=大国主神が登場
399 容姿麗美な勢夜陀多良姫
400 大久米命が愛のキューピット
401 大久米命の黥面= アイメーク
402 神武帝の妻問婚=通い婚
403 綏靖帝の誕生秘話
404 当芸志美美命が前后を娶る
405 建沼河耳命が綏靖帝に
406 古代は末子相続だったやも
407 古事記中巻より天皇表記が多発
408 神武帝は137歳で崩御?
409 真福寺本 古事記がWEBで
410 綏靖帝~開化帝 8代簡素血縁履歴
411 稲置・宿禰の姓が出現
412 建内宿禰=武内宿禰のご子息
413 前方後円墳の造形美
414 美しい前方後円墳に眠る20帝
415 神武帝と天武帝の陵墓は極めて近接
416 崇神帝と意富多多泥古の登場
417 崇神帝のお子様は六男六女
418 大物主神の末裔 意富多多泥古の登場
419 赤色楯矛と黒色楯矛の暗喩
420 鉤穴通 麻糸 三勾・美和・三輪神
421 相感・共婚でこどもの日
422 麻糸は鉤(鍵)穴を通り三輪山へ
423 初御真木天皇 崇神帝
424 若き乙女=腰裳少女の伝言
425 乙女腰裳の時代変遷
426 崇神帝 相津(会津)が日本の北限
427 租税(調)の徴用と灌漑
428 垂仁帝の御代物語
429 垂仁帝のご子息達と身長表記
430 沙本姫命 愛情表現の行方
431 垂仁帝と沙本姫命・沙本彦命
432 沙本姫命 兄と共に旅立ち
433 沙本姫命・彦命 稲城内で他界
434 失声症 本牟智和気 出雲大神の祟り
435 本牟智和気を猫可愛がり
436 失声症快癒 肥長姫の愛
437 多遅摩毛理 橘伝説
438 昔の名前で 醜女物語2
439 登岐士玖能迦玖能木実
440 小碓命(倭建命)の登場
441 容姿麗美嬢の争奪戦
442 荒振る小碓命(倭建命)
443 小碓命(倭建命)の熊曾制圧物語
444 小碓命 倭姫命に衣装を所望
445 倭建命 女形変身物語
446 倭建命 出雲建へ姑息な騙し
447 倭建命 東国遠征へ
448 倭建命 東国旅程考
449 旅ギフトは草那芸剣と巾着袋
450 旅ギフト役立ち焼津に
451 弟橘姫命の献身
452 阿豆麻波夜=吾妻⇒東
453 倭建命 vs. 美夜受姫
454 倭建命 白鳥になり飛翔
455 倭建命の彷徨・歌謡・落命
456 倭建命 白鳥になり天空に飛翔
457 倭建命の息子が仲哀帝に
458 仲哀帝と神宮皇后登場
459 神懸かり神功皇后のご神託
460 住吉三神の再登場
461 軍船渡航上陸 広開土王碑に
462 辛卯年(391年)好太王即位
463 烏丸鮮卑東夷傳(伝)
464 高(句)麗と倭 歴史記述の初
465 晋朝倒れ 楽浪・帯方郡から撤退
466 百済は晋書 載記 慕容皝で
467 新羅 377年 前秦に朝貢
468 神功皇后 新羅・百済と好を結ぶ
469 紅の裳の裾濡れて鮎か釣る
470 気比大神 入鹿(海豚) 都奴賀
471 香坂王 忍熊王の出生秘密
472 忍熊王 淡海の藻くずに
473 御食津⇒気比 血浦⇒都奴賀・角鹿
474 少名御神醸造お酒は楽酒
475 応神帝は10名の奥様を
476 応神帝の御世に突入
477 大山守命 兄 大雀命 弟
478 眉化粧した名宮主矢河枝姫
479 顏容麗美な日向の髪長姫
480 応神帝 髪長姫を大雀命に譲る
481 大雀命(後の仁徳帝) 大願成就
482 酩酊の応神帝 石動くと錯視?
483 照〈肖〉古王の贈り物横刀は七支刀?
484 呉服(くれはとり)西素さんって
485 秦造之祖・漢直之祖の出自
486 応神帝崩御 跡目争い勃発
487 宇遅能和紀郎子 大山守命を制す
488 大山守命 奈良=平城山に
489 天日矛登場 古事記原文
490 帝位譲り合い 困窮の海人(あま)
491 沼辺で憩う女性に日耀如虹指其陰上
492 赤玉は天日矛へ 乙女に変容
493 赤玉は阿加流姫神
494 天日矛の遠い係累 息長帯姫命
495 天日矛の携行品 伊豆志之八前大神
496 春山霞壮夫 藤花に変容
497 神宇礼豆玖の呪詛呪文
498 古事記下巻 仁徳帝に
499 仁徳帝 国造りに着手 都市・自由国家
500 仁徳帝 課税免除で国造り
501 仁徳帝=聖帝 課税免除政策
502 仁徳帝皇后 石之日賣命の嫉妬
503 石之姫命 黒姫に嫉妬・いびり
504 淤能碁呂嶋の所在は?
505 仁徳帝 吉備国にて黒姫と逢瀬
506 鬼の居ぬ間に八田若郎女と
507 石之姫命の心的現象乱れ彷徨
508 三色之奇虫 匐虫(蚕) 殻(繭) 飛鳥
509 鳥山 丸邇臣口子が和解使者
510 丸邇臣口子 青摺衣が紅色に
511 蚕の繭は絹布の貴重な原材料
512 仁徳帝、女性達へ全方位外交
513 女鳥王と速総別王との恋物語
514 仁徳帝(大雀命)を袖にする女鳥王
515 女鳥王の懇願、隼は雀を殺めて
516 女鳥王と速総別王の逃避行
517 女鳥王の玉釧(ブレス)ドラマ
518 建内宿禰命 再登場
519 仁徳帝とこの世長人、建内宿禰命
520 高樹は枯野(高速船)・薪・琴に
521 権力奪取闘争履中帝
522 履中帝 火炎の難波宮から脱出
523 曾婆加理 墨江中王を殺害
524 水歯別命 曾婆訶理を斬首
525 飛鳥の由来と履中帝御代
526 水歯別命(反正帝)の御代
527 男浅津間若子命(允恭帝)の御代
528 允恭帝 遠飛鳥宮を設営
529 兄妹相姦 軽王・軽大郎女
530 軽王と軽大郎女(=衣通郎女)の恋愛
531 百官及天下人等の軽王への嫉妬
532 大前小前宿禰の粋な計らい
533 軽王 伊予温泉へ流刑
534 蠣貝に足踏ますな明して通れ
535 軽王・衣通郎女 永久(とわ)の愛
536 穴穗御子(安康帝)の権力闘争御代
537 安康帝 不可解な人間模様
538 幼子目弱王 安康帝を斬首
539 大長谷王 都夫良意富美邸襲撃
540 おませなで荒魂な大長谷王子
541 荒魂な大長谷王 市辺之忍齒王殺害
542 市辺之忍齒王 淡海(近江)で没す
543 大長谷若建命と若日下王
544 大長谷若建命の御代に呉人来倭?
545 若日下部王 大長谷若建命を袖に
546 女性を翻弄する大長谷若建命
547 身勝手で不埒な大長谷若建命
548 「姿体痩萎」(しわくちゃ婆さん)=赤猪子
549 舞上手な「形姿美麗」お嬢さん
550 倭国は「蜻蛉=阿岐豆(あきづ)=秋津島
551 倭国はあきづ(秋津島)と?
552 大猪に襲われ木に登る雄略帝
553 鏡の世界現象 一言主大神
554 伊勢国三重婇の凛々しい機転
555 百枝槻の葉 大盃に浮かぶ
556 命拾いの伊勢国三重采女
557 国生み 許袁呂(こおろ)=かき回し
558 倭の高市は都市国家地区
559 袁杼姫と大長谷若建命の仲睦まじさ
560 意冨祁命と袁祁命の登場
561 飯豊郎女は女帝だったやも
562 市辺之押歯王の奴末
563 袁祁命・大魚 vs. 志毘臣
564 兄弟で志毘を抹殺 帝位譲り合い
565 顕宗帝(袁祁命)の御代
566 市辺之押歯王の遺骨捜索
567 大事にされた置目老媼 斬首された猪甘老人
568 雄略帝の御陵破壊へ配慮
569 仁賢帝~武烈帝~継体帝へ
570 仁賢帝~武烈帝は係累のみ継体帝も少々
571 継体帝 唯一記載の竺紫君石井事件
572 筑紫の磐井 継体帝に服す
573 安閑帝~欽明帝 古事記原文
574 歴史教科書登場で親近感湧く帝達
575 敏達帝~推古帝 古事記原文
576 今上(平成)天皇 帝位譲位意向
577 古事記原文 安萬侶の序
578 古事記偽書説 太安万侶墓で没
579 太朝臣安萬侶 癸亥年七月六日卒
580 古事記編纂迄の歴史的出来事
581 姓稗田名阿禮(礼)
582 古事記編纂期間 128日
583 古事記編纂迄の30年間
584 舒明帝以降の帝関連人間模様
585 「天孫降臨」のモデル
586 壬申の乱 帝位継承争い
587 持統女帝目眩く願い男子帝位継承
588 持統女帝譲位 文武帝即位
589 壬申の乱~天孫降臨は海幸彦と山幸彦に
590 海幸彦と山幸彦物語の天孫降臨隠喩
591 持統・元明女帝の力強い執念
592 古事記編纂が頓挫する状況に
593 太安万侶ドラマ創りに邁進
594 万葉集に古事記・日本紀の表記
595 古事記曰 軽太子姧軽太郎女
596 万葉集⇒訓仮名漢文調 古事記⇒一字一音仮名
597 アフリカの母 日本人 倭言葉
598 古事記時代の日本人と倭言葉
599 高松塚古墳 被葬者は忍壁親王と
600 古事記時代の日本人と倭言葉2
601 古事記時代の日本人と倭言葉3
602 古事記時代の日本人と倭言葉4
603 B.C.221 秦の始皇帝 文字書体統一
604 意思疎通不能の秦燕趙斉魏韓楚
605 始皇帝は礼装を「黒色」に
606 B.C.209陳勝・呉広の乱
607 項羽 鉅鹿の戦いに勝利
608 劉邦登場 張良との邂逅
609 劉邦は武関 項羽は函谷関
610 項羽 孫子兵法 鉅鹿の戦いに活用
611 率然は「常山(北岳恒山)」に
612 「孫子」兵法 少しだけ 1
613 「孫子」兵法 少しだけ 2
614 「孫子」兵法 少しだけ 3 始如處女 後如脱兎
615 劉邦vs.項羽 鴻門の会
616 西楚の覇王 項羽
617 項羽 虞美人とお別れ
618 史記 項羽本紀原文 烏江
619 西楚覇王 項羽 絶命
620 烏江亭の思慮不足で項羽自害
621 捲土重来 項羽(杜牧 哀惜)
622 捲土重来 項羽(杜牧 哀惜)2
623 捲土重来 項羽(杜牧 哀惜)3
624 漢帝国成立 劉邦 武帝 司馬遷
625 司馬遷 郎中・太史・中書令 史記成立
626 戦乱中 商人(華商)・難民避難
627 楽浪海中有倭人 分為百余国
628 前漢末 儒教一世風靡
629 王莽 大司馬~摂皇帝に
630 王政君崩御 地球寒冷化?
631 呂母の乱から赤眉軍結集
632 赤眉軍に触発され緑林軍決起
633 二つの中国 王莽・劉玄帝
634 王莽23年間トップ本望を遂げる
635 赤眉軍 漢書記述ほんの少々
636 赤眉軍 劉盆子立て更始帝打倒
637 二つの中国 劉盆子・劉秀帝
638 赤眉蜂起軍 樊崇 花と散る
639 光武帝 漢王朝復活
640 後漢書東夷列伝 韓国関連記述
641 後漢書東夷列伝 倭国関連記述
642 倭人 朝鮮半島で鉄貨幣使用
643 57年・107年奴国・倭国朝賀参列
644 奉貢朝賀 奉献 通称「朝貢」とは
645 正確な朝貢定義(岡田英弘氏)
646 正史成立順 漢書⇒三国志⇒後漢書
647 後漢書 東夷列伝 「二郡」抹消
648 漢書 地理志 楽浪郡人口統計
649 107年倭国遣使奉献以降の後漢
650 搾取される民 黄巾の乱へ
651 黄巾の乱 蒼天已死 黄天当立とは
652 五斗米道も反乱 後漢仏教摂取
653 三国志 最初の悪者 董卓登場
654 董卓 洛陽着 小帝弁探索
655 董卓 陳留王を帝位に
656 董卓 養子の呂布に殺害される
657 劉焉 益州(現四川省)牧に就任
658 張魯母始以「鬼道」
659 張魯母始以鬼道 又有少容
660 張魯 漢中にて布教活動
661 鬼道が 巴・漢中を制する
662 204年公孫康が帯方郡設置
663 死諸葛(孔明)走生(司馬懿)仲達
664 明帝、燕王 公孫淵征討決意
665 三国志魏書 魏三十(倭人伝)-1
666 三国志魏書 魏三十(倭人伝)-2
667 三国志魏書 魏三十(倭人伝)-3
668 魏志倭人伝の書き出し
669 三国志の著者 陳寿(壽)
670 晋書の陳寿(壽)情報
671 陳寿(壽)の素敵な人となり
672 張華 陳寿(壽)の才を愛す
673 張華と陳寿(壽)の歩み
674 陳寿(壽)父は馬謖に連座
675 陳寿 呉滅亡で三国志執筆
676 三国志 正史扱い認定
677 今使訳所通三十国
678 卑弥呼238/6帯方郡へ使者派遣
679 帯方郡奪還 察知情報機関
680 華僑・華商ネットの魁け夏(華)人
681 夷(夏=華)人 商業都市=商都を
682 夏(華)人商都が発展 夏王朝
683 市場⇒朝庭⇒朝廷へ
684 宮廷儀礼 玉璋を掲げ玉座へ
685 霊験灼かな酒器銅爵
686 龍と王権威(力)との融合
687 とある骨片から商(殷)発見
688 倭女王卑弥呼さん情報
689 張政が倭女王卑弥呼情報を
690 張政 邪馬壹国に長期間滞在
691 倭国状況は史記・漢書の援用
692 史記・漢書の倭国状況
693 会稽 東冶之東 指南魚は?
694 所有無与儋耳朱崖同
695 陳寿 倭人を越人の末裔と
696 倭人の国々に法が存在
697 倭人の国々に租賦と邸閣
698 自然の姫神・天女 卑弥呼
699 管理官の大倭と一大率
700 礼儀を重んじる倭人達
701 卑弥呼時代の世間的な礼
702 魏王朝 倭女王卑弥呼へ詔書
703 魏王朝 卑弥呼に豪華贈答品
704 倭国・邪馬壹国の朧気状況
705 後漢書の倭国に対する改竄
706 邪馬壹国 邪馬臺国 表記違い
707 邪馬壹国 邪馬臺国 表音違い
708 ところで「倭」の表音は?
709 265年壹与31歳・司馬炎30歳
710 晋書 東夷国 帰化・内付~朝貢
711 司馬炎 妓妾五千人入宮
712 賈皇后→張華→三国志
713 賈后政権奪取に貢献 張華
714 張華 劉放により中央進出
715 賈后 庶民出の張華を重用
716 300年4月張華絶命
717 匈奴 モンゴル大草原遊牧民族
718 鉄製馬銜(ハミ) アイアンロード
719 とても合理的発想な匈奴人
720 匈奴の習俗 古事記神話に
721 匈奴単于の冒頓に東胡が干渉
722 冒頓単于は合理→冷静沈着
723 冒頓単于が匈奴を大強国に
724 冒頓vs.劉邦 平城・白登山の戦い
725 冒頓 劉邦を白登山に誘い込む
726 冒頓 五行説五方色で劉邦包囲
727 陳平秘策の誘惑に閼氏負ける
728 白登山の戦い冒頓勝利
729 冒頓・劉邦 昆(兄)弟の契り
730 匈奴帝国 漢武帝の切り崩し
731 兄弟分裂で南匈奴と北匈奴に
732 北匈奴滅び檀石槐が鮮卑帝国
733 南匈奴 魏曹操軍の騎馬戦士
734 冒頓単于の末裔 劉淵登場
735 劉淵は文武両道でいい男
736 劉淵 五部(匈奴)大都督に
737 劉宣 密かに劉淵大単于策謀
738 劉淵 鄴より脱出左国城へ
739 劉淵 「漢」建国声明
740 劉淵 劉備絶賛 漢王即位
741 劉淵 漢王朝の歴史確認
742 劉淵漢王位へ異議申し立て
743 劉淵と司馬頴の会話脚色
744 三皇五帝三王越えの漢王朝
745 疲弊した晋朝打倒決起集会
746 中国東北部に鮮卑慕容部族
747 慕容廆 張華からお褒め言葉
748 匈奴・鮮卑・漢語など意思疎通は
749 鮮卑族ファッション被髮・左衽
750 五胡十六国・東晋時代
751 漢人は夷・狄・戎・蛮の混淆人
752 (前)燕・高句麗・(後)趙
753 記室参軍 封裕 慕容皝へ諫言
754 高句麗・百済人は韓半島等へ
755 377年新羅 資治通鑑に登場
756 西氐族苻健 東鮮卑族慕容儁
757 慕容恪を絶賛の晋書
758 慕容垂 東晋軍を撃退
759 慕容垂 前秦 苻堅に帰服
760 前秦 前涼・代を滅ぼし華北統一
761 前秦 苻堅 東晋制圧決起
762 苻堅 淝水の戦いで敗北
763 苻堅は長安 慕容垂は鄴へ
764 慕容垂は鄴着 苻丕に謁見
765 石越 垂排除具申 苻丕拒否
766 慕容垂(後)燕 姚萇(後)秦 建国
767 鮮卑拓跋部族 珪 北魏建国
768 後燕・北魏 参合陂の運・鈍・根
769 五胡十六国 16国全容
770 東晋王統(317~420年)
771 宋書は晋書よりも先に編纂
772 劉裕 妖賊孫恩の乱に勝利
773 桓玄 帝位簒奪 劉裕を厚遇
774 天子(司馬徳宗)復位 劉裕褒美
775 北魏・後燕・高句麗・百済・新羅・倭国の攻防
776 慕容熙 奥様は絶世の美女姉妹
777 高句麗遼東城 不陥落原因
778 苻訓英と慕容煕 仲良く天国へ
779 後燕と高句麗 仲良しに
780 即位・元号・干支紀年法等
781 歳次甲子正月戊申(戌)朔 始用暦日
782 神武天皇御即位紀元
783 太陽暦ニ改正ノ旨各国公使ヘ通知
784 推古帝九年=辛酉年 斑鳩宮造営
785 推古二十八年天皇記及國記を記録
786 神武元年~推古八年=1260年
787 B.C.660年神武帝 橿原宮で即位
788 400年初頭の東アジア模様
789 倭国の五王遣使 南朝宋へ訪問
790 宋書・梁書 倭国関連記述
791 倭の五王 宋書・梁書で比定不可
792 南朝宋 倭国では呉国と
793 音博士 続守言・薩弘恪 来倭
794 続守言・薩弘恪 日本書紀を執筆
795 山田史御方 日本書紀57%を執筆
796 日本書紀神代→安康帝 698年~執筆
797 日本書紀 各巻執筆順序
798 宋書 倭遣使上表 華麗な文体
799 武遣使上表から倭の五王は
800 隋・文帝と倭国・推古帝の接触以前
801 飯豊皇女は顕宗・仁賢帝の叔母・妹・姉?
802 日本書紀・古事記の崩御年違い
803 古事記 継体帝 記述抜粋
804 日本書紀 継体帝 記述抜粋
805 釈日本紀一云に応神帝5世孫詳細
806 応神帝5世孫・垂仁帝7世孫
807 日本書紀 継体帝 時系列
808 継体帝崩御 527・531・534年?
809 宣化帝の崩御月日が二つ
810 隋書 俀(倭)国伝
811 隋書 邪馬臺→邪摩堆(ヤマタイ)
812 600年阿毎多利思比孤 遣隋使派遣
813 多利思比孤の倭国情報
814 倭国の刑罰・捜査・風俗・文化等々
815 日本書紀の「大王(おほきみ)」表記
816 獲加多支鹵大王→雄略帝
817 厩戸皇子→豊聡耳法大王・法王大王
818 厩戸皇子 甲午年(574年)生誕
819 豊聡耳法大王は確固たる倭王
820 593年4月弱冠二十歳 厩戸大王
821 上宮・廐戸・豊聡耳・太子に
822 日没処天子様 お元気でした?
823 煬帝(日没処天子)は太っ腹!?
824 秦王国住人は徐福(徐巿)の末裔
825 始皇帝の夢にも出る徐福(徐巿)
826 徐福(徐巿)蓬莱山伝説 続編正史
827 徐福来倭?蓬莱山→浦嶋子伝説
828 厩戸大王と裴世清 相見える
829 遣倭使 日本書紀と隋書の違い
830 隋楊堅 九品官人法廃止 科挙へ
831 610年煬帝 京杭大運河完成
832 598年楊堅 高句麗征伐失敗
833 隋王朝への高句麗朝貢模様
834 煬帝 高句麗征伐三度出動
835 高句麗 朝貢せず三度征伐不成功
836 江都(揚州) 美女の二十四橋
837 楊広(煬帝)と厩戸大王(皇子)
838 厩戸大王(皇子)法華義疏
839 東天皇V.S.西皇帝(もろこしのきみ)
840 日本書紀 天皇表記 戯れ言
841 鸕野讃良皇女=高天原広野姫天皇
842 辛酉年春正月庚辰朔 神武帝即位
843 熊本城跡出土鉄刀 甲子年604年
844 厩戸大王 妻3名子女14名
845 菟道貝蛸皇女 飯蛸の桜煮
846 厩戸豊聡耳皇子命薨去 高麗僧惠慈追う
847 厩戸の母・妻・上宮の相次ぐ崩御
848 中宮寺 天寿国繡帳
849 再び、中宮寺弥勒菩薩像
850 法隆寺 金堂 薬師如来像
851 607年斑鳩寺建立・薬師如来安置
852 法隆寺伽藍縁起并流記資財帳
853 法隆寺流記資財帳の薬師・釈迦如来
854 法隆寺資財帳の「王后」表記
855 三度 中宮寺 聖徳太子二歳像着替え
856 天寿国繍帳 亀の甲四文字
857 天寿国繍帳 亀の甲四文字2
858 天寿国繍帳 亀の甲四文字3
859 天寿国繍帳 人間模様
860 天寿国繍帳は最初法隆寺に
861 天寿国曼荼羅繍帳は最初法隆寺に
862 天寿国繍帳 法隆寺資財帳に不在
863 再び 中宮寺 亀の甲400文字
864 法王帝説 皇前曰啓の記載有無
865 聖徳太子平氏伝 聖誉抄
866 膳三穂娘 聖徳太子伝私記
867 少輔得業璋円の娘 出家し信如房
868 信如さんの中宮寺復興・修復
869 太子伝聖誉抄 天寿國曼荼羅起因
870 間人皇女御忌日は法隆寺綱封蔵内
871 法隆寺へ駆けつける信如さん
872 綱封蔵に盗人侵入 蔵解放
873 信如房さん天寿国繡帳発見
874 曼荼羅発見 大悦びの信如房
875 乱脱も亀甲文字発見
876 霊山定円法印と卜部兼文さん
877 曼荼羅解読 間人皇女忌日確定
878 信如さん 中宮寺 中興の祖に
879 比丘僧 転じて比丘尼に
880 授戒は戒壇院→自誓・受戒へ
881 戒壇院正式受戒尼僧は不在
882 光る君へ 詮子円融帝崩御後出家
883 定子落飾も一条帝へ再入内
884 999年 定子は男児出産 彰子は入内
885 1000年 定子 女児出産も崩御
886 「この世をば」創成 源倫子
887 源倫子なな何と二度出家
888 源倫子一度目出家は法成寺落成前
889 彰子出家し上東門院に
890 倫子・彰子同年に二度目の出家
891 高貴女性のお気持ち出家
892 高貴女性お気持ち出家に異変?
893 大原問答→興福寺奏状
894 興福寺奏状→建永の法難
895 親鸞 非僧・非俗 絶対他力
896 「五戒」の破戒は昔から常態?
897 恵信尼と親鸞のお子さん達
898 口伝鈔では恵信御房と鸞聖人
899 恵信尼消息西本願寺で発見1921年
900 親鸞に帰依する恵信尼・覚信尼
901 恵信尼さんの最後のお手紙原文
902 恵信尼さんの最後のお手紙解読
903 恵信・覚信尼は比丘尼に非ず
904 高貴女性 落飾・出家の差異表示
905 教円姉を尼僧に勧誘→信如房
906 旧唐書 五代後晋時代執筆
907 中華王朝唯一の女帝 武則天I
908 中華王朝唯一の女帝 武則天II
909 中華王朝唯一の女帝 武則天III
910 中華王朝唯一の女帝 武則天IV
911 中華王朝唯一の女帝 武則天V
912 世界三大美女 豊満な楊貴妃I
913 世界三大美女 豊満な楊貴妃II
914 楊貴妃・玄宗 長恨歌III
上記以降は、サイドバーリンクでダイレクトにご覧頂けます。
長い戦乱の世が収束し、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康により
中央集権体制 と 地方分権体制とのコラボレーション。
ファッション界では、「着物」 が注目を浴び始めます。
権力と富を握られた方々は、差異表示の願望をこらえきれず
豪華絢爛な着物 (服・衣装・飾り小物) に贅を尽くします。
慶長小袖から着物ファッションはスタートし、
以後、寛文小袖、と脈々繋がりファッション界をリードします。
その着物をファッションを定着されたお方が、
徳川和子、後の東福門院さんです。
その恩恵を甘受された呉服屋さんが、雁金屋さん。
尾形光琳のお爺さん、お父さんでした。
しかしながら、江戸時代の徳川幕府は、
武士、成り上がり商人階層以外の庶民の方々には、
美しく、素敵で、お洒落なファッションで着飾る事を許しません。
その様な、規制された世の中において、
元気で、逞しく、繊細な 「庶民」 は、闘いを挑みます。
そんな世界から生まれ出た、「粋」 と 「いなせ (鯔背)」 な感性。
それらのいきさつ (経緯) につきまして、展開していきます。
現代人にとって、時代的に一番身近な感性と感じ方。
「粋といなせと服」 ご期待下さい。
ZIPANGU スタッフ一同
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