わび・さび と服 鎌倉・室町時代 サイトマップ
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「わび ・さび と服 鎌倉 ・室町時代 」 の目次です。
1 わび(侘び)・さび(寂び)と服 1
2 わび(侘び)・さび(寂び)と服 2
3 わび(侘び)・さび(寂び)と服 3
4 WABI(和美)、SABI(差美)
5 一条能保と坊門姫 ・・・・・・・平安時代末期の方々
6 源義朝と坊門姫
7 源義朝と平清盛
8 スーパーオバサマ 藤原貞子 ・・・鎌倉時代前期の長命女性
9 鎌倉時代の京都ヤングボーイ ・・ 鎌倉時代の公家ファッション
10 鎌倉武士軍団の服事情 ・・・・・鎌倉時代の武家ファッション
11 鎌倉武士のナチュラル服
12 京都より新都鎌倉へ赴く公家
13 ややオシャレは六波羅探題武士
14 鎌倉の都の女性達 ・・・・・・・鎌倉時代の武家女性
15 ファッション革命 湯巻き ・・・新アイテム登場
16 紅袴(パ○ツ)が無くなる?
17 湯巻き登場はシャネルと同じ ・・既に鎌倉 ファッション革命
18 再びシャネルの偉大さ
19 再び鎌倉時代の湯巻きに
20 わび(侘び)・さび(寂び)と禅 ・・・禅宗と侘び ・寂び
21 「禅宗」 「禅」 「ZEN」 の触り
22 「禅宗」 「ZEN」 栄西 の触り 1
23 「禅宗」 「ZEN」 栄西 の触り 2
24 「禅宗」 「ZEN」 道元 の触り
25 藤原(高倉)範子と源通親 ・・・京ファッション死守 源通親
26 藤原忠雅の娘と源通親
27 平教盛の娘と源通親
28 藤原(高倉)範子と源通親
29 丹後局と源通親
30 高階栄子(丹後局)と山科言継
31 源頼朝の娘(大姫)と源通親
32 幸運の女神は源通親に
33 藤原範子と兼子(卿局)
34 藤原伊子と源通親
35 道元と源通親 ・・・・・・・・・・曹洞宗 禅宗 道元の父
36 道元と北条時頼
37 佐野源左衛門常世と北条時頼 ・・・鉢の木伝説
38 道元と時頼と蘭溪道隆
39 鎌倉新仏教の時系列
40 再び、栄西 ・道元、新仏教
41 臨済宗伸び、曹洞宗それ程
42 鎌倉五山の順列
43 鎌倉武士の京都遷都
44 京都五山の順列
45 鎌倉・京都五山の年代順
46 足利義満 一時の華やかさ
47 禅寺以外の旧仏教寺院 ・・・・・天台 ・真言宗の凄さ
48 禅寺以外の門跡寺院
49 そうだ京都、木枯らし寺院?
50 足利義満はとてもラッキー ・・・室町時代唯一の栄華期
51 足利義満はラッキーx2
52 足利義満 v.s.後円融天皇
53 足利義満はラッキーx3
54 アンチ足利義満軍団は?
55 足利義満による大イジメ
56 後円融上皇による反撃
57 足利義満の更なる攻撃
58 足利義満を取り巻く女性達
59 応仁・文明の乱⇒侘び・寂び
60 今年もお世話になりました。
61 そして、「生け花」 池坊 ・・・・わび ・さびの形態
62 そして、「茶の湯」 千利休
63 そして、「枯山水 日本庭園」
64 禅 わび さび 幽玄 と 服 ・・・・・「ただいま!」 と玄関
くぐれば、お家 (うち) は
「幽玄」 の時空間です。
更に、わび ・さび と服 鎌倉 ・室町時代 の詳細は、
「平安後期~鎌倉時代の衣装」
「室町時代の衣装」
「戦国時代 空白の衣装時空 京都」
「続 戦国時代 空白の衣装時空 京都」
をご覧下さい。
鎌倉・室町時代の醸成された
侘び (わび)・寂び (さび)・幽玄世界の背景がきっと感じられます。
― 侘び (わび)・寂び (さび)・幽玄の文化 ・感性背景 ―
みやび (雅) な世が過ぎ去り、やがて 「腕力」 勝負の時代を
向かえます。軍事部門担当の 「武士」 が権力を担う時代。
そんな武士達に重宝されたのが、公家仏教の流れを組まない
「禅宗」 でした。武士にとっては、とても都合の良い 「教え」。
一方、庶民に支持された、鎌倉新仏教の内、
浄土宗 ・浄土真宗 (江戸時代までは一向宗) 、日蓮宗などは
その限りではありませんでした。(武士にとって都合が悪い)
鎌倉時代から室町時代を通して、足利義満が生存した時代を
除き、基本的には 「戦乱」 が続いた日々でした。
戦乱に明け暮れる時代に。この世に生まれ出た方々は、
今現在、わたくし達の平和?な時代から発想すると、
大変な事態と思いがちですが、実際、この世に出現して以来、
戦乱状態を眼 (まなこ) あたりにしている訳ですから、
彼ら ・彼女らにとっては、何も変哲のない日常の出来事です。
わたくし共が心配する事でも何でもありません。
庶民の皆さんは、与えられた時空間で、精一杯生活するだけ。
庶民を巻き込まない武士同士 ・公家同士の諍いで留まっている
時点では問題が生じませんが、勢い日本のその当時の 「都」
京の街すべてが燃えて無くなってしまったら、おお困りです。
そんな大事件が室町時代の最大の戦乱 応仁・文明の乱でした。
この様な状況は、経験したくもありませんが、この時点で生活
してないと全く想像不可能と思います。大東亜戦争時点も然り。
しかしながら、多分、どん底から抜け出し再生を遂げた事実を
私達は実感している事実がありますので、それ程でも・・・・・?
と云う様な事を文字にしたら、その時代の方々に
お叱りを受ける羽目になるやも知れません。
それはさておき、
この状況によって、現在の華麗な花嫁修業???に成り果てた
「生け花」 「茶の湯」 等、日本庭園の 「枯山水」、「能 ・狂言」 等
今でも日本文化を代表する形としてしっかり生き残っています。
どんなに小さな空間においても、「美しさの気持ち表現」 方法。
この時代に生きた方々は、しっかり会得し、後世に伝えました。
日々、「お金」 を湯水の如く消費可能な方々におかれましても
この表現方法は、胸を熱くする 「力」 を持っている筈です。
日本人の熱き気持ちのD.N.A.を受け継がれている方は
例え、負け組のヘンナ叔父さん・伯母さんにならざるをえなかった
方こそ、この美の表現を、ご存じであると確信しています。
鎌倉から室町時代に渡る、約400年をかけて創り上がられた
「わび (侘び)・さび (寂び)・ゆうげん (幽玄)」 の感性文化。
「みやび (雅)」 の完璧表現感性は50年程の期間ですので
文化醸成 ・継続期間には、余りにも差があります。
故に、日本人の感性 (心音・根) に響くのかも知れません。
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