春日局と徳川和子 20
春日局の本名は、斉藤福さん。
彼女の父は斉藤利三 (としみつ)
母は稲葉一鉄(良通)のお嬢さん。
稲葉一鉄のお嬢さんの母親が、三条西公条のお嬢さんです。
三条西公条は私どもが 「襲色目」 で
とてもお世話になりました三条西実隆の息子です。
実隆さんの事は 「一条兼良と三条西実隆」 でご覧下さい。
福さん(4歳時)の父が不慮の事故 (事件) でお亡くなりなった後、
彼女は遠戚にあたる、三条西公条の孫、
三条西公国の元で育ちます。
三条西実隆 → 公条 → 実世(実枝) → 公国 → 実条
の血脈順列です。
三条西実隆は幼い際、応仁 ・文明の乱を経験、
室町時代後期から戦国時代初期の間の
文化と政治を担ったとっても偉いお方です。
その末裔の元で過ごされた
斉藤福 (後の春日局) さんはちぃちゃな時から
たぶん、文化的素養溢れた空間で
お過ごしになっていたのではないかと考えます?
彼女は稲葉正成 (1571~1628) の奥様になりますが、
故有って、1604年 (この時点で福さんは26歳。) に
後の3代将軍家光 (竹千代) の乳母に抜擢されます。
斉藤福 (後の春日局) さんは、
竹千代を無事に育て上げ、苦難を乗り越え彼を将軍位にします。
その間に、
1614年後水尾天皇と徳川和子さんの結婚が正式に公表され、
1620年徳川和子さんは後水尾天皇の奥様に。
1623年には興子内親王 (後の明正天皇 1629年天皇即位)
が誕生し、和子さんと後水尾帝は、
彼女を含め7名のお子様達を授 (さず) かったのです。 続く。
春の梅
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