« 金襴顧客 淀殿 お初 お江与 16 | トップページ | お市の方のお孫さん達 18 »

2007年2月11日 (日)

慶長小袖と堺商(職)人 17

 一方、輸入業者の美味しい思いを覆そうとする方も出現します。
 明の職人さん達 (テキスタイルデザイナー) を堺に招き、
 自国生産を試みる新進アートディレクター堺商人です。

 この動きは、「慶長小袖」 の流れを生み、
 後の京都西陣織に発展する事になります。
 堺での機織り (生地生産) は、上を下への大わらわ。
 堺商人達は、慶長小袖の着物地を
 織って織って織りまくった日々だったのではないかと思います。
 (当然、織ったのは機織り職人達です。)

 堺は自治都市で、 今井宗久 (1520~1593)
  千利休 (1522~1591)
  津田宗及 (?~1591)
 彼らは、「茶湯の三大宗匠」 と称されてはいますが、
 茶の湯は彼らの裏顔で、表は立派な堺商人達です。

 この頃の着物ファッションを牛耳った方は、
 初代茶屋四郎次郎 (京都呉服商) (1545~1596) と
 やや遅れて、京都の呉服商雁金屋さん (尾形道柏時代)。

 十中八九、上記5名様、或いは、彼らの実質ディレクターの方、
 はたまた、彼らの直近末裔が、慶長小袖ブームにあやかり、
 更に、より慶長小袖生地デザインを越える為、
 先進織物産業を通商、堺都市から文化、京都都市に生産基地を
 移動させたのではないかと考えています。 (西陣地区)

 初代茶屋四郎次郎はさすが商売人、お客様の家康に?
 或いは、三河国の出身と云われていますので、家康の密偵やも。
 外は矢の雨が如く降り注ぎ、鉄砲の弾が飛び交っている最中、

 「夢、まぼろしの如くなり。」 と優雅に謡い踊り?、森欄丸らに、
 「決して俺の屍は晒すな。」 と厳命しあの世に逝かれた信長の
 「本能寺何か変だ事件」 (1582年) を、
 たまたま?堺滞在中の徳川家康に
 「殿一大事」 と情報をもたらした茶屋四郎次郎。
 貴男は一体 「何者」?

 どうも、この 「本能寺の変」 は、
 何処か胡散 (うさん) 臭く、きな臭く
 何回イメージしても腑に落ちないのですが、
 この件につきましては、後の機会で。            続く。

見頃の梅
spacer
見頃の梅

|

« 金襴顧客 淀殿 お初 お江与 16 | トップページ | お市の方のお孫さん達 18 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 慶長小袖と堺商(職)人 17:

« 金襴顧客 淀殿 お初 お江与 16 | トップページ | お市の方のお孫さん達 18 »