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2007年2月 7日 (水)

織田信長のファッションセンス15

 織田信長は運悪く 「信長の野望」 を達する事は
 叶いませんでしたが
 彼自身は、とってもお洒落で素敵なファッションセンスを
 お持ちになっていました。
 (今現在、山本寛斎さんが果敢に挑戦し続けておられます。)

 信長の場合は 「唐物」 に限らず、「(南) 蛮物」 までも、
 誰よりもいち早く取り入れ、ご自分で実践されました。

 ここの所は、甚だ、織田信長ファン故の依怙贔屓 (えこひいき)
 気味のイメージになるやも知れませんが、
 彼の凄さは旧慣習の壁を越える表意記号を回りの皆さんに、
 お見せするのみに留まらず、
 彼本人が結構気に入り、楽しんでいた感じがして堪りません。

 兜からハット (hat) へ。 陣羽織からマント (manteau coat) へ。
 彼が、一番最初に、それらを被ったり、羽織ったりした瞬時の
 あの何とも表現不可能な、「嬉しさ、楽しさ、うっとり感」 を
 信長は、確実に、味わっています。
 尚、詳しい事は、「織田信長の革新的感性」 でご覧下さい。

 豊臣秀吉、徳川家康らは自らの 「権力性」 顕示する方法論は、
 織田信長に比して、とても・とっても劣りますが、逆に、
 自信がない故 (政治権力獲得欲を除く) の金銭消費に関しては、
 糸目をつけませんでした。

 供給側にとりまして、こちらの方が楽チンチンです。
 Lady's Fashion  (女性の装い) 分野では、「豪華着物」 です。
 この着物 (小袖) が、世に云う、「慶長小袖」 ファッションブーム。
 いよいよ、ここで、金襴 ・銀襴緞子着物の出番です。 続く。

春の梅
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織田信長らしい梅?

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