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2007年1月27日 (土)

庶民 こその 粋・いなせ 9

 「富 ・権力 ・権威」 をお持ちの方々の創始者は、
 誰しも成り上がりに違いありません。
 大きな違いは、どの時点でそれらをゲットとしたかになります。
 その時間軸でクォリティー (quality)、品格、品位に
 けたたましく、差異が生じます。
 現在、旧江戸城お住まい方に
 何とも云えない風格 ・風情 ・気品をお感じになりませんか。
 トルーマン・G.H.Q. でさえ 「彼」 を抹殺できませんでした。
 彼は、幾たびかの危機を乗り越え日本文化を支えておられます。
 現人神から国民の象徴へとシステム・呼称言語は変われども
 厳かに、しなやかに、美しく存在されておられます。
 「彼」 を抹殺でき得なかった大きな背景は、
 私達の祖先、母 ・父、「日本人」 が
 「いざ、鎌倉 (千代田)」 とバックに存在していたからです。
 この舞絽倶 (ブログ) では、天皇を基本的には 「帝」 と
 表現していました。
 一つは、天皇と云う呼称は
 村上天皇 (926~967) 以後
 光格天皇 (1771~1840) までありませんでした。
 専ら 「主上」 或いは 「禁裏(様)」 と云う呼称だったとの事です。
 枕草子も 「帝」 と記述表現しています。
 もう一つは、日本のトップリーダーで有りながら、
                        トップリーダーで無かった存在だからです。
 この 「存在感」 が何とも素敵な日本文化の真髄です。
 天皇制 うんたらの思想的な事には私ども何も関与致しません。
 そもそも 「天皇制」 と云う言葉自体
 コミンテルン (露 komintern) 時代の輸入翻訳語彙ですから。
                                                                         続く。

★天皇の呼称につきましては
  「天皇家の歴史大事典 新人物往来社
  天皇にとって正統とは何か 長山靖生」 を参考にしています。
  上記の情報は、「雲上明覧」 に記載されているとの事。
  その他に、長山氏は次の様に記述されています。
  「建武の新政で名高い後醍醐天皇なども、
  実は天皇と呼ばれたことはなく、
  死後は後醍醐院と呼ばれていたのだ。
  では、後醍醐院はいつから正式に後醍醐天皇になったか
  というと、大正十四年(1925)、政府は院号をおくられていた
  すべての天皇位経験者を、
  院を省いて◯◯天皇と称すると決定したからだった。」

粋な梅
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梅 と 雪
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すでに、梅の蕾が開きましたでしょうか?

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