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2007年1月31日 (水)

無いようで有るもの (夢・幻) 11

 江戸時代始め、この時代の日本人が
 海の遙か彼方の南蛮人と考えていたフランス人、
 デカルト (1596~1650) は、
 「私は考える、ゆえに私はある。」
 と 分かった様で分からない事をのたま (宣) っていました。

 一方、この日本において、
 デカルト以前に、
 江戸時代 (徳川政権) じゃないものを作ろうと画策した、
 上杉謙信 (1530~1578) は
 「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」
 織田信長 (1534~1582) は
 「人間五十年 下天の内を比ぶれば 夢、まぼろしの如くなり」
 と 表明しています。

 デカルトを取るも良し、謙信 ・信長を取るも良し、◯◯も良し、
 ご自分の気持ちに 合う ・ 会う・ 逢う・ 遭う・ 遇う 「詞」 を
 探す旅。  「詞」 には、「貴男」「貴女」「◯◯」の置き換え可。

 「夢」 と云えば DREAMS  COME  TRUE
 ドリカムはトリオ (伊 trio) から デュエット (伊 duetto)
        共同幻想       から 追幻想
                           の世界になったとお思いなら大間違い。
 彼女らのセッション (session) では、サポート (support) する
 バックバンド (back-band) 、ダンサー (dancer) らで構成する
 共同幻想の世界が広がっているのです。(リスナー含む)

 「私は知りたい、ゆえに私がいる。」 ってな感じでは・・・。 続く。

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