足利義満はラッキーx3 53
ここからは、今谷明氏の 「室町の王権」 を参考にします。
後円融天皇を護る立場の中から、
ドロップアウトして、足利義満をエイドする方々が輩出します。
先ずは、女性、
後円融帝の父、後光厳上皇の典侍をされていた
☆日野宣子 (?~?) さん (二品尼宣子)
日野(藤原)俊光 (1260~1326) さんのお孫さん。
(日野俊光は文章博士 ・蔵人頭 ・参議 ・権中納言等を歴任。)
伏見天皇 | (在位1287~1298) (1265~1317) に仕え、 |
後伏見天皇 | (在位1298~1301) (1288~1336) |
花園天皇 | (在位1308~1318) (1297~1348) |
光明天皇 | (在位1336~1348) (1321~1380) |
三世代の帝の教育係 (乳母) を勤めた方。 | |
宣子さんは、後宮内での力は抜群だったとの事。 |
☆二条良基 (1320~1388) (准三后 1376~)
1346年 光明天皇の関白、この年藤原氏長者に。
1363年 後光厳天皇の関白。
1382年 後小松天皇の摂政。 と華々しい経歴。
奥様は、土岐頼康 (1318~1378) のお嬢さん。
土岐頼康は美濃 ・尾張 ・伊勢国守護。
摂津源氏の祖先が美濃国土岐郡に。故に「ときは今?」
(現在の岐阜県土岐市)
二条良基のお子さんは、師良 ・師嗣(二条家嗣子)と経嗣など、
経嗣は一条家の養子になり、後の一条兼良の父。
又、養子には醍醐寺中興の祖、准三后満済の父、今小路師冬、
一乗院大僧正 良玄、聖護院大僧正 道基、
天台座主・北野天満宮別当・曼殊院僧正 道豪 等々。
*一乗院は高野山 真言宗のお寺 (和歌山県伊都郡高野町)。
☆醍醐寺三宝院 光済僧正 (1327~1379) 護持僧
(醍醐寺座主 東寺一長者。法務大僧正)
彼の父は 柳原 (日野) 資明 (資明 は日野俊光の息子)
後宮、摂政関白、護持僧と云う三位一体が
足利義満のサポート体制側に回るのです。
これでは如何ともしがたいではありませんか。 続く。
*准三后 (准三宮) は広辞苑に依りますと、
「平安時代以降、皇族や上級公卿に、三宮
(太皇太后宮 ・皇太后宮 ・皇后宮)に准じて、
年官・年爵を給与した経済的優遇法。
後には年官 ・年爵なく、名だけの優遇法となった。准后。」
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