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2006年12月15日 (金)

足利義満はラッキーx3 53

 ここからは、今谷明氏の 「室町の王権」 を参考にします。
 後円融天皇を護る立場の中から、
 ドロップアウトして、足利義満をエイドする方々が輩出します。

 先ずは、女性、
 後円融帝の父、後光厳上皇の典侍をされていた
☆日野宣子 (?~?) さん (二品尼宣子)
 日野(藤原)俊光 (1260~1326) さんのお孫さん。
 (日野俊光は文章博士 ・蔵人頭 ・参議 ・権中納言等を歴任。)

 伏見天皇 (在位1287~1298) (1265~1317) に仕え、
 後伏見天皇 (在位1298~1301) (1288~1336)
 花園天皇 (在位1308~1318) (1297~1348)
 光明天皇 (在位1336~1348) (1321~1380)
 三世代の帝の教育係 (乳母) を勤めた方。
 宣子さんは、後宮内での力は抜群だったとの事。

☆二条良基 (1320~1388) (准三后 1376~)
 1346年 光明天皇の関白、この年藤原氏長者に。
 1363年 後光厳天皇の関白。
 1382年 後小松天皇の摂政。 と華々しい経歴。
 奥様は、土岐頼康 (1318~1378) のお嬢さん。
     土岐頼康は美濃 ・尾張 ・伊勢国守護。
     摂津源氏の祖先が美濃国土岐郡に。故に「ときは今?」
     (現在の岐阜県土岐市)
 二条良基のお子さんは、師良 ・師嗣(二条家嗣子)と経嗣など、
 経嗣は一条家の養子になり、後の一条兼良の父。
 又、養子には醍醐寺中興の祖、准三后満済の父、今小路師冬、
 一乗院大僧正 良玄、聖護院大僧正 道基、
 天台座主・北野天満宮別当・曼殊院僧正 道豪 等々。
 *一乗院は高野山 真言宗のお寺 (和歌山県伊都郡高野町)。

☆醍醐寺三宝院 光済僧正 (1327~1379) 護持僧
 (醍醐寺座主 東寺一長者。法務大僧正)
 彼の父は 柳原 (日野) 資明 (資明 は日野俊光の息子)

 後宮、摂政関白、護持僧と云う三位一体が
 足利義満のサポート体制側に回るのです。
 これでは如何ともしがたいではありませんか。         続く。

*准三后 (准三宮) は広辞苑に依りますと、
 「平安時代以降、皇族や上級公卿に、三宮
  (太皇太后宮 ・皇太后宮 ・皇后宮)に准じて、
  年官・年爵を給与した経済的優遇法。
  後には年官 ・年爵なく、名だけの優遇法となった。准后。」

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