足利義満を取り巻く女性達 58
義満は、名うての色男だったやも知れません?
豊島 (字が違います。) キラー (killer) だった感じです。
義満は、なな何と人様のお美しい奥様を好んで所望された由。
又、旦那様方は、喜んで?奥様を送り出したとの事です。
嘘か誠か、誠か嘘かは不明ですが、今谷氏に依りますと、
中山親雅 | (1353~1402 花山院家の末裔) | の奥様、加賀局さん |
足利満詮 | (1364~1418 義満と同母弟) | の奥様、誠子さん |
日野資康 | (1348~1390 義満奥様の兄) | の奥様、池尻殿さん |
満仁王 | (?~? 後宇多帝の弟の孫) | のいい人、小少将さん |
らは、義満の元に行かれちゃったとの事です。
勿論、義満には日野業子 (1351~1405) さんと云う歴 (れっき)
とした奥様が存在しました。
義満に紹介、嫁がせたのが、義満エイド三人衆のお一人、
日野宣子さんでした。業子さんは宣子さんの姪に当たります。
残念な事に、お二人にはお子さんができませんでした。
更に更に、業子さんが亡くなった後には、今度は業子さんの姪の
日野康子 (1369~1419) さんが奥様になっているのです。
この方もお子さんに恵まれず、義満を嗣いだ
足利義持 (1386~1428 4代将軍) と弟の、
足利義教 (1394~1441 6代将軍) の母は、
醍醐寺三宝院坊官 安芸法眼の慶子お嬢さんでした。
又、義持の奥様は、日野栄子 (1390~1431 康子妹) さん。
お子さんが足利義量 (1407~1425 5代将軍)
又、義教の奥様は、日野宗子 (?~?) と彼女の妹の、
日野重子さん (1411~1463) お二人の父は、
日野康子さんの弟、日野(裏松)重光 (1370~1413)。
義教と重子さんとのお子さんが
足利義勝 (1434~1443 7代将軍)
足利義政 (1436~1490 8代将軍 息子の義尚が9代将軍)
足利義視 (1439~1491 息子の義材が10代将軍)
そして、義政の奥さんが、メジャーな日野富子になり、
日野家の別一族は没落しますが重子さんが、奮闘 ・頑張り、
こちらの日野家は、この世の春を迎え、栄華を極めるのです。
これ以後の展開は 「戦国時代 空白の衣装時空 京都」 で。
本題の、足利義満を取り巻く女性達に戻ります。
最初に紹介しました3名の奥様と一名のいい人以外にも、
義満は数多 (あまた) の女性とお付き合いなさっています。
(ワンショットではなく長年、衣食住のお世話を為さっています。)
それらの女性の大半は、宮中にお勤めされていた、
才長け、見目麗しい、素敵な、キャリアーの女性達です。
(いや、もとい、 と思われます。)
故に強 (あなが) ち、義満の 「富」 と 「権力」 のみに
絆 (ほだ) されて 「身」 をお任せになったとは限りません。
確かにバツイチの女性にした殿方 (前夫) らは、
その後、栄達の道を極めている事は確かです。
お一人、お二人でしたら、大好きな夫の昇進を願い、
その様な事態になる事を厭わなかった方がいても・・・・・。
しかしながら、何せ、桁が違い過ぎます。
故に、義満は 「富」 と 「権力」 以外、秀でた 「魅力」 を
お持ちになっていたに違い有りません。
これ以上語りますと、「溜息」 が出てしまいますので止めます。
昨日は 「クリスマス・イブ」
皆さん、楽しい時空間を過ごされましたでしょうか? 続く。
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