足利義満 v.s.後円融天皇 52
1352年から約20年程の間に、
1358年には後円融天皇と足利義満が誕生。
1368年には足利義満が将軍に。 11歳
1371年には後円融は帝に。 14歳
1379年には康暦の政変により管領が、
細川頼之から斯波義将に交代する。 22歳
*斯波義将 (1350~1410) の斯波 (しば) は、
祖の足利一門筆頭の足利(斯波)家氏 が
陸奥国斯波郡を領有していたからとの事。
(岩手県盛岡市の南から紫波郡の近辺との事。)
この1379年を境にして、新たな展開がスタートします。
昔、むかしからある、昨今、又、取り上げられている 「イジメ」。
近代経済学的言語では 「GAME」。
そのゲームの当事者 (player) は、
同い年の後円融天皇と足利義満のお二人。
offense - player は足利義満で
defense - player は後円融天皇。
時代 (とき) は、擾乱を経た婆娑羅時代です。
「既得権益、既存勢力、何するものぞ。」 の世界ですので、
何があってもおかしく有りません。
足利義満が offense - player ですのでこれからも、婆娑羅です。
続く。
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