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2006年12月21日 (木)

後円融上皇による反撃 56

 翌年1383年正月29日は
 後円融上皇の父、後光厳天皇の法事でした。
 今谷明の 「室町の王権」 に依りますと、
 この内裏での法要に参加したのはお坊さんのみで、
 公卿 ・殿上人 (朝廷高級官僚) は義満の 「睨み」 に
 恐れおののき、誰一人、参列されなかったとの事です。
 この事態に陥り、さすがの後円融上皇も怒り心頭。
 運悪く、奥様の厳子さんが昨年の暮れに里帰り、無事出産され、
 この年の2月1日に内裏にお帰りになる日に当たっていました。
 当日、後円融上皇は腹の虫の悪戯か、
 久方ぶりにお帰りになった愛しの厳子さんを
 激しく、折檻なさったそうです。
 これも巷でよくあるお話し、「愛 (いと) しさ余って憎さ百倍」。
 このイジメの構造は、イジメの連鎖。
 苛 (いじ) められた方が愛しい人であれ
 お近くにいる力の弱い方を
 虐 (いじ) める行為。  
 如何ともし難い人の業 (わざ)。
 昔から対処策としての宗教の役割、
 西洋では、「右の頬をぶたれたら、左の頬を出せ。」
 東洋では、「(弱者) 人間、皆、辛抱だ。」 だ何て
 『西洋は論理破綻、東洋は何時までもできません。』
 と云う事に落ち着きませんかしら

 故に、この反撃はイジメ相手に対する闘いになりません。 続く。

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