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2006年12月19日 (火)

足利義満による大イジメ 55

 後円融天皇は1382年に息子さんに践祚されます。
 後小松天皇 (在位1382~1412) (1377~1433) この時25歳。
 後円融帝は後円融上皇=治天 (ちてん) の君=国家元首に。
 そして、後小松天皇即位の大礼のお日柄決めで問題勃発。
 何と、後小松の摂政、二条良基と足利義満は後円融上皇抜きで、
 その日取りを決定してしまいます。
 54回での三条公忠の日記 「後愚昧記 (のちのぐまいき)」では、

 「武家 (義満) に於て、叡慮の赴きに違 (たが) う。」
 「仙洞の御意、毎時尋常ならず (中略)、武家と乖違す。
  豈 (あ) に御意達せらるべけん哉 (や)。不可説の事なり。
  言う莫 (なか) れ、言う莫れ。」 (室町の王権 今谷明著)

 と記されており、三条公忠は義満のやり方に疑問を呈し、
 尚かつ、後円融上皇に対しては拘泥の無理さを知ってて・・・。
 挙げ句の果て、公忠自身は、
 両者から、とばっちりを受けない為に黙 (だんま) り戦術です。
 
 この三条公忠の 「推移見定め、動かない動き」 は、
 私どもも含め、誰しも何度も経験している事ですので・・・・・。
 当事者でなく、力なき脇で佇んでいるより仕方がない方の
 唯一取り得る方法は、「徒党」 を組み、
 痛い目覚悟で 「動く」 しか有りません。
 中々・・・「でも何とか」。

*三条公忠 (1324~1383) の厳子お嬢さんは後円融天皇の奥様、
 後の通陽門院 (1352~1406) さんです。
 お二人のお子さんが、後小松天皇になります。

 このイジメ=GAME はひとまず、足利義満側の勝利。        続く。

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