鎌倉武士の京都遷都 43
源義家の末裔、足利尊氏 (1305~1358) は、紆余曲折の経て、
1338年に光明天皇 (1321~1380)(在位1336~1348) より
征夷大将軍を賜り、正式に京都室町幕府が誕生する事に。
翌1339年には後醍醐天皇 (1288~1339)(在位1318~1339)
が逝去されます。
色んな経緯を踏まえ尊氏は弟の
足利直義 (1306~1352) らと打ち合わせ
後醍醐天皇の鎮魂を旨とし、お寺を建立する事に。
光厳(こうごん)上皇 (1313~1364)(在位1331~1333) の院宣
を以て 「天龍寺」 を建てる事になりました。
足利直義は夢窓疎石 (1275~1351)
(最終的には臨済宗の禅僧で日本人。)
に元への貿易船の出向を許可し、引き替えに天龍寺の建立費用
の一部を上納させる事に。
これが 「天龍寺船」。
夢窓疎石、自らは元に赴いてはいません。
1345年には落慶し、後醍醐天皇の七回忌法要が営まれました。
がしかし、未だ室町幕府政権の内部抗争が決着しておらず、
更に地方実力者の山名氏や大内氏などの立場が不明確状態。
尊氏の息子、足利義詮 (1330~1367)(将軍在位1358~1367)
を経て、室町幕府3代将軍、
足利義満 (1358~1408)(在位1368~1394) の時代に漸く
室町幕府は安定期を迎える事になります。 続く。
次回は「そうだ京都、行こう」 紅葉真っ盛りの京都のお寺。
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