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2006年11月23日 (木)

鎌倉五山の順列 42

 鎮護国家を担う奈良仏教 (南都六宗)。
 調伏 ・安産祈願 ・極楽浄土へのパスポートを担う平安仏教。
 そして、国家統治 (武家) 参謀 ・中国語通訳を担う鎌倉新仏教。

 鎌倉武士軍団の庇護を受けて臨済宗は大きく羽ばたきます。
 通称、鎌倉五山と云われるお寺の出来上がり順列は、

寺名 開山年 創立者 初代住職
浄妙寺 1188年 足利義兼
(?~1199)
退耕行勇 (日本)
(1163~1241)
寿福寺 1200年 北条政子
(1157~1225)
栄西 (日本)
(1141~1215)
建長寺 1253年 北条時頼
(1227~1263)
蘭渓道隆 (南宋)
(1213~1278)
円覚寺 1282年 北条時宗
(1251~1284)
無学祖元 (南宋)
(1226~1286)
浄智寺 1283年 北条師時
(1275~1311)
大休正念 (南宋)
(1215~1289)

 お寺の建立された順序で記しましたので上になるのですが、
 浄妙寺の建立時の名前は 「極楽寺」 です。
 創建当時の宗派は真言密教 (真言宗) でした。
 1257~1259年頃に臨済宗に変わったとの事です。
 足利義兼は前九年(1051~1062)・後三年(1083~1087)の役
 で名を馳せた源義家 (1039~1106) のお孫さんです。
 話が逸れますが、
 前九年 (諍い期間12年間) 後三年 (諍い期間5年間)
 前 ・後は単純に前半・後半?
 九年  ・三年は何に当たる 「年」 なのか不明です。
 この命名の経緯 (いきさつ) をご存じの方はお知らせ下さい。
 北条師時は10代執権で、北条時宗(8代執権)の養子になり、
 時宗の実子の北条貞時(9代執権) (1271~1311) の次の執権。
 (執権職は1301年~1311年の間)
 しかしながら、実権は北条貞時に握られていました。 続く。

☆ 格付けランキング
    1 建長寺 2 円覚寺 3 寿福寺 4 浄智寺 5 浄妙寺

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色の変化をお届けしています。
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