道元と時頼と蘭溪道隆 38
道元に戻ります。
その北条時頼の招きで、道元は鎌倉に出向きます。
道元の晩年になります。(1244年~1253年のいつか)
鎌倉には約半年程滞在したそうです。
六ヶ月ですので道元はどれ程 「禅」 を伝授できたか不明ですが、
ZENは詞を必要としないのかも知れません?
しかし、これが契機で以後新都鎌倉に禅寺が建立される事に。
道元が永平寺で亡くなった年に、「建長寺」 が開山します。
このイベントに招かれたのが、たまたま?、南宋から来日していた
禅僧の蘭溪道隆 (らんけいどうりゅう) (1213~1278) でした。
(彼は日本語を一体、何処で会得したのでしょう?)
彼が日本で禅の一派、臨済宗 (中国本場直輸入もの) を
広めたと云われています。
ここに於いても、なぜか陰が薄い曹洞宗。
確か、中学生で幼い時は、
鎌倉時代 ⇒ 新仏教 ⇒ 禅宗 ときて、
栄西 ⇔ 臨済宗 道元 ⇔ 曹洞宗
と覚えさせられた記憶が蘇り、
その際に、確か並列に記されていましたので、
同じ年代と思っていました。 (とっても浅はか・・・。)
なぜかと云うと、その一ヶ月前に、
最澄 ⇔ 天台宗 空海 ⇔ 真言宗
と叩き込まれ、確かに最澄 ・空海はほぼ同期、同世代。
と来れば、栄西 ・道元は同期の桜
と思いしや 跳んでも8分 歩いて?
二人はお爺さんと子供の世代違い。
これだから、単純二元論はいけません。 続く。
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