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2006年11月11日 (土)

道元と北条時頼 36

 帰国した道元は京にてお寺を開きますが、
 如何せん新興の宗教の為、旧宗教勢力の天台宗、比叡山、
 延暦寺の皆さんから 「イジメ」 が。
 道元の場合は、越前国に逃避。そこを彼の現地対策本部に。
 そのお寺が、東尋坊の近く、曹洞宗 永平寺です。(1244年)
 彼のシンパシー (同情・同感・共感。=sympathy) 者は
 越前国の地頭、波多野義重 (京都の六波羅探題、評定衆勤め)。
 彼のお陰で 「座禅」 と云えば 「永平寺」 が出現し今に。
 道元は時の執権北条時頼から声が掛かり、鎌倉に赴いています。
 「鉢の木」 伝説で有名な北条時頼(1227~1263) からの招待状。
 この鉢の木伝説が 「イザ、鎌倉」 の語源。
 北条時頼は息子の時宗 (1251~1284) が幼少の為、NEXT時宗
 条件付き?で執権職を一族の北条長時 (1229~1264) に渡し、
 (1256年) 仏門に入るも実質支配。(得宗政治の確立)
 彼は善政を施した感じで、鉢の木伝説等が生まれる事に。
 鉢の木伝説と来たら、佐野源左衛門常世、
 上野国(群馬県)佐野の住人。
 故有り下野国(栃木県)山本(現在の葛生町鉢木)の田舎で
 奥様と貧乏暮らしていたある雪がシンシン降る冬の出来事、
 お坊さん (=北条時頼) が一夜の宿を所望し、
 暖をとる薪が枯渇ししょうがなく庭の木々
 (なぜか松・桜・梅の木) を折り対処したお話し。
 生木なので燃えなくて、
 煙りもうもうで、目が痛かったのではないかと
 ちょいと心配ですが・・・。 そこはフィクション。  続く。

 
楓の紅葉カラーを約一ヶ月に渡り
色の変化をお届けしています。
8色目になります。
何処、彼処も紅葉なのかしら

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