道元と源通親 35
道元の父母、伊子さんと通親の説ですが、昔は通説でした。
しかしながら最近の研究により、道元の父は
通親の2男の堀川通具との説が有望視されています。
真偽は蚊帳の外ですが、
何れにせよ、源通親の血脈混入は不動です。
2014年に15歳 (数え) に出家し (1200年生まれ) 道元と。
天台宗をお勉強して、
1217年に建仁寺にて栄西の弟子、明全(1184~1225)の弟子に。
1223年に明全と共に博多から舟で宋へ。
と云う事になっています。
この頃の舟旅は決して船旅ではなかった思いますが、
どの様な感じなのかは想像をしかねます。
奈良時代の鑑真に比しては安全だったとは思いますが・・・。
1228年に日本に辿り着いていますので航海は無事だった事に。
宋に滞在中明全は亡くなり栄西は日本で他界します。(1225年)
ここで素朴な疑問です。意思疎通の為の 「中国語」 は?
栄西 ・明全 ・道元達は渡航前に中国語を学んだのでしょうか?
もし学習したとしたら、一体誰が先生?
それとも現地修得?
ここの点がどうもいつも腑に落ちません。
私どものデザイナーが語る所では、
イタリア語・フランス語の片言覚えで現地に渡っても、
職業(目指すもの)が一緒ならば、
何とはなしに覚えてしまうと云ってますが・・・。
「もの作り」 と 「思想」 の違いがありますので・・・。
意外と知らなくても何とかなるのかも知れません。 続く。
追 弊社デザイナー曰く、
何とは無しに、聞く、見る、等の5感をフル出動して、
感性で覚えるのが一番だったそうです。
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