幸運の女神は源通親に 32
この作戦は源通親にとって諸刃の剣になりますが、
取り急ぎ、座して何もぜずより
動いてみる方策をチョイス (choice) した感じになります。
未だ、任子さんにも在子さんにもお子さんがありません。
やぶさか任子さんに男の子誕生でも
源頼朝の大姫が入内していれば、即、立太子不可になります。
この事は、在子さんにも同様です。
やがて、結果が。
私達は既に事実を知り得ていますので少しも驚きがないですが、
この時空間に当にお暮らしになっておられた
九条兼実と源通親、及びそれぞれのシンパシー (sympathy) に
とりましては伸るか反るかの重大事。
1195年 8月に任子さんはお嬢さんを
1195年12月に在子さんは僕ちゃんをこの世に。
取り急ぎの勝負?はつき、源通親らは九条兼実を権力の座から
追い落とし作戦を敢行。
1196年任子さんは里下がり、兼実は関白職を外されます。
残る懸案の大姫は1197年に亡くなってしまいます。
1198年後鳥羽帝が在子さんの僕ちゃんに譲位
ここに土御門天皇が誕生と云うドラマが。
なにやら9月の 「男のお子さん誕生」 に似ていませんか? 続く。
![]() |
|
| 固定リンク
コメント