源頼朝の娘(大姫)と源通親 31
1190年に後鳥羽帝は11歳 (数え) で元服します。
この期に乗じて、九条兼実はお嬢さんの任子さんを入内させます。
彼女は中宮、後の宜秋門院 (ぎしゅう) (1173~1238) に。
丹後局さんと後白河法皇に取り入り、外堀を埋めた
源通親は当初の目論見の養女、在子さんの入内作戦。
兼実に遅れる事一年後の1191年に、
局さんと法皇のお陰で、在子さんが女御として入内します。
源通親にとっては順風満帆の時が過ぎようとしていたのですが、
1192年に後白河法皇が亡くなります。
九条兼実にとっては、うふふ?
彼のバック (back) には、源頼朝が。
兼実は源頼朝に征夷大将軍の位を授けます。
これが 1192 ツクロウ鎌倉幕府。
京都に於いて恐いもの無しの状態になった兼実は我が世の春。
源通親にとっては窮地に陥りました。
この状況を打開すべく通親は策を巡らせます。
九条兼実と源頼朝との関係裁ち切り作戦です。
1195年東大寺再建供養で、頼朝が2度目の上洛をした際に
彼のお嬢さんの大姫を後鳥羽帝に入内させるよう計らう策です。
この役者として兼実とは折り合いが悪い丹後局=高階栄子さんが
暗躍し、源頼朝をその気にさせます。 続く。
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