高階栄子(丹後局)と山科言継 30
今回は、高階栄子(丹後局)さんの末裔のお話です。
彼女の前夫は平業房 (?~1179)、後白河上皇の近臣で、
鹿ヶ谷の陰謀事件のリメイク (remake)、治承の変に参画。
平清盛に咎められ哀れな最期を迎えた方。
このお二人の息子、藤原(冷泉)教成(のりしげ) (1177 ~1239)
は藤原実教 (曾祖父が藤原顕季、兄に四条隆季 )
の養子になり、やがて、時代が下り、室町時代末期に活躍された
山科言継 (やましなときつぐ) に行き着きます。(1507 ~1579)
彼の仕事は、内蔵頭(くらのかみ)
御厨子所(みずしどころ)別当 をされていました。
内蔵頭は 「朝廷内の衣服の調達」 が主な仕事です。
故に、私ども ZIPANGU にとりましても非常に興味が。
更に御厨子所も兼務ですので、帝の食事材料を確保する仕事も。
彼は、仕事柄、昔の儀式・作法 (有識故実) を
研究しなければ成らない立場。
平安みやびな世が語り伝えた伝統を、室町時代に
一条兼良⇒三条西実隆⇒山科言継と繋いで下さいました。
有識故実の山科流は江戸時代に途絶えますが、
文献を残して下さっているお陰で私どもは確認できます。
更に又、山科言継は 「言継卿記」 と云う日記を
1527年(今現在確認できる年)から書き留めてくれましたので、
戦国時代の社会状況を知り得る貴重な文献資料になっています。
つい回り道を。 次回は源通親に戻ります。 続く。
☆室町時代の衣装と続 戦国時代の
「一条兼良と三条西実隆」 「山科言継 ・「言継卿記」」
で触れていますのでご覧下さい。
*「山科」 は現在の京都山科区で後白河法皇が
高階栄子(丹後局)さんへプレゼントされた土地です。
又、ここの 「冷泉」 は藤原定家の末裔の冷泉家とは異なります。
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