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2006年10月19日 (木)

「禅宗」 「ZEN」 道元 の触り 24

 道元 (1200~1253) は、出自が神官の息子、栄西と違い、
 源頼朝と九条兼実ペアーの朝廷権力奪取計画にアンチ(anti)
 した帝の危機の際に、必ず登場する村上源氏の末裔、
 源通親 (みちちか) (1149~1202) が父と云う説があります。
 母は藤原基房 (松殿) (1144~1230) のお嬢さんの伊子さん。
 結果論ですが、伊子さんの父、基房は藤原忠通の次男として
 生まれ兄の近衛基実が早世した後、繋ぎで摂政 ・関白となり、
 平清盛に搾取された藤原長者領を奪還しようするも失敗に終わり、
 (近衛基実の奥様は清盛のお嬢さんの平盛子さん)
 更に、不運は清盛亡き後、1183年上洛し旭将軍となった
 源義仲 (1154~1184) に、
 お嬢さんの伊子さんをお嫁さんに貰ってもらい、
 権力再構築しようと思っていた折りに、
 源義経 (1159~1189) の登場でオジャーン。
 結局、権力は弟の九条兼実が握る事に相成ったのです。
 86歳の天寿を全うするも、以後の彼は、形式存在のみに?
 兄と弟の狭間で割を食った藤原基房です。
 伊子さんは源義仲の死後、
 後家好きな?源通親の奥様になります。
 源通親はとても機敏なお方で、
 彼女以前、後鳥羽天皇の乳母をしていた
 藤原 (高倉) 範子 (のりこ) さんを奥様にしていました。  続く。

*乳母は 「乳母(めのと)と云う女性(キャリア)」 をご覧下さい。

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