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2006年10月17日 (火)

「禅宗」 「ZEN」 栄西 の触り 23

 栄西は、既存宗教勢力の弾圧にも関わらず、
 臨済宗をメジャーにした訳ですから、多大の 「努力」 をした事に。
 新規展開で、「成り上がる」 為には、
 往々にして、無茶をしないと中々ムズイものがあります。
 「既存勢力」 との軋轢 (あつれき)、
 「成り上がる努力」 を諦めた方々の嫉妬、
 同志だと考えていた方からの、ベクトル (Vektor 独) 違い不和、
 等々の艱難辛苦の壁を何度も乗り越えなくては
 大願成就できないのですから、色々あるのでしょう?
 結果的には、栄西は如才なく京都公家集団 (朝廷一派)
 及び、鎌倉武家集団の両方の権力に上手く?振る舞い、
 現代まで、残る事に。
 九条家の祖、九条兼実 (1149~1207) の弟で出家して、
 天台座主になった慈円 (1155~1225) が記した 「愚管抄」 で
 栄西の僧位アッパー狙いについて苦言を呈しています。
 栄西の書いた 「喫茶養生記」 の詳しい事は、こちらで。   続く。

*天台座主は天台宗延暦寺住職のナンバーワン。
  慈円は良い国作ろう1192年38歳で天台座主に。
  又、彼はその当時は異端の、
   浄土宗の祖、 法然 (1133~1212)
   浄土真宗の祖、親鸞 (1173~1262) を庇護しました。
   親鸞は慈円の弟子になります。

*僧位 864年より僧綱 (そうごう 僧尼を統括する僧官) の位階、
   一等賞 法印大和尚 位=僧正
   二等賞 法眼和上   位=僧都
   三等賞 法橋上人   位=律師     これより下位は略。

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