「禅宗」 「ZEN」 栄西 の触り 23
栄西は、既存宗教勢力の弾圧にも関わらず、
臨済宗をメジャーにした訳ですから、多大の 「努力」 をした事に。
新規展開で、「成り上がる」 為には、
往々にして、無茶をしないと中々ムズイものがあります。
「既存勢力」 との軋轢 (あつれき)、
「成り上がる努力」 を諦めた方々の嫉妬、
同志だと考えていた方からの、ベクトル (Vektor 独) 違い不和、
等々の艱難辛苦の壁を何度も乗り越えなくては
大願成就できないのですから、色々あるのでしょう?
結果的には、栄西は如才なく京都公家集団 (朝廷一派)
及び、鎌倉武家集団の両方の権力に上手く?振る舞い、
現代まで、残る事に。
九条家の祖、九条兼実 (1149~1207) の弟で出家して、
天台座主になった慈円 (1155~1225) が記した 「愚管抄」 で
栄西の僧位アッパー狙いについて苦言を呈しています。
栄西の書いた 「喫茶養生記」 の詳しい事は、こちらで。 続く。
*天台座主は天台宗延暦寺住職のナンバーワン。
慈円は良い国作ろう1192年38歳で天台座主に。
又、彼はその当時は異端の、
浄土宗の祖、 法然 (1133~1212)
浄土真宗の祖、親鸞 (1173~1262) を庇護しました。
親鸞は慈円の弟子になります。
*僧位 864年より僧綱 (そうごう 僧尼を統括する僧官) の位階、
一等賞 法印大和尚 位=僧正
二等賞 法眼和上 位=僧都
三等賞 法橋上人 位=律師 これより下位は略。
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