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2006年10月15日 (日)

「禅宗」 「ZEN」 栄西 の触り 22

 達磨さんは、にらめっこ。
 それと、選挙に勝利した際の黒目入れ。
 先ずは、「禅」 を日本に導入された栄西。
 栄西 (1141~1215)
 若干14歳 (数え) で比叡山延暦寺のお坊さんになり(得度)、
 (現代から察すると早く感じるかも知れませんが、この当時では
  特段早い時期の出家ではありません。
  「功名が辻」 で 「拾い」 は9歳で出家、生まれて即の方も。)
 1168年、28歳の時南宋に留学したとの事ですが、
 一体、誰に連れていってもらったのでしょうか?
 平清盛が宋との私貿易で富を得ていた話がありますので
 清盛の下で日本と宋を行き来してた方にお願いしたのか不明です
 がとにもかくにも、1187年にも栄西は宋に出かけていますので、
 どちら様かに、コネクション (connection) があった筈です。
 1191年に彼の地の偉いさんから臨済宗を嗣ぐお墨付きを貰い、
 日本へ帰ります。
 帰国後は、世の常の、既存宗教勢力からのいじめにあい、
 京より遙か遠い、九州の筑前、肥後国で布教を行い、
 1195年に博多に日本初の禅道場、聖福寺を建立していますので、
 渡航コネは、博多密貿易商人だったかも知れません。
 栄西は、中央、京の都でも布教を試みますが、儘 (まま) ならず
 新興権力集団になった鎌倉幕府に取り入ります。
 新都鎌倉に足を運び、
 北条政子 (1157~1225)、源頼家 (1182~1204)らの庇護の下、
 (鎌倉幕府側も新文化 (宗教) の取り入れに打って付け。)
 1202年京都に建仁寺を建立するまでに。
 けんにん‐じ 【建仁寺】 (広辞苑)
 京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の大本山。山号は東山。
 建仁二年 (一二○二) 栄西の創建。
 当初は天台 ・真言 ・禅の兼学寺院。
 室町時代は京都五山の一で五山文学の中心。
 戦国時代末期に恵瓊が復興。             続く。

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