丹後局と源通親 29
丹後局さんは、後白河法皇の晩年にとても仲睦まじかった女性。
平氏と共に都落ちした安徳天皇に変えて後鳥羽天皇を帝に推挙
したと云われている女性です。
本名、高階(たかしな)栄子さん。 (?~1216)
源通親は、
「将をを射んと欲すれば先ず馬を射よ」 作戦に出ます。
丹後局さんと後白河法皇との間には、お嬢さんがおられました。
そのお嬢さんを通親は強引にも 「女院 (にょいん・にょういん)」
にする策動に打って出ます。
女院は基本的には皇后、帝の生母、又は準ずる准母 (じゅんぼ)
をされた方が頂ける称号です。 (後には変容)
この称号は名誉のみでなく経済的背景も備わっているのです。
日本最初の女院は、藤原道長のお姉さんの 「東三条院 (詮子)」
二番目は、道長のお嬢さんの 「上東門院 (彰子)」 さんです。
丹後局さんのお嬢さんは、「帝」 をお産みになっていません。
従って、彼女は女院になれません。
しかし、源通親は手練手管で、彼女を女院にしてしまいます。
前例のない快挙。 「宣陽門院」 (1181~1252) の誕生です。
「院」 ですので組織が置かれ (院庁) そこの諸務を司る院司に
源通親が就任します。 彼の経済的基盤も増す事に。
丹後局さんと後白河法皇にとっては、彼は愛 (う) い奴。
特に、丹後局さんにとっては万々歳。
彼は、覚え目出度い存在になってしまうのです。 続く。
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