平教盛の娘と源通親 27
女性の心の機微を察せる?源通親に戻ります。
永井路子さんの 「絵巻」 に依りますと、
藤原忠雅のお嬢さんと一緒になったのは、
時の権力者、藤原基房 (松殿) との素敵な接点を保持する為に
彼女のお婿さん?なった、
彼女をお嫁さん?にした事にしています。
彼女のお姉さんが基房とお付き合いをしていたからだそうです。
基房と平家との折り合いが悪くなった際には、
源通親はさっと身を引き、
次の奥様、平教盛 (のりもり) (1128~1185)
のお嬢さんのお婿さんになっています。
平教盛は平清盛 (1118~1181) の弟。
この電撃の早さで、彼は目出度く、
みるみると、蔵人頭→近衛中将→参議へ昇進。
(何か枕草子⇒清少納言 ・源氏物語⇒紫式部の世界の感じ。)
おまけに、中宮大夫にも。 この時の中宮は平徳子 (建礼門院)。
彼は、1180年の福原遷都 (神戸市兵庫区) にも尽力します。
やがて、年が過ぎ、平家都落ち、藤原基房は失脚、
1185年平教盛は壇ノ浦で海の底へいかれます。
藤原(高倉)範子と源通親とのと付き合いは、
彼女の夫が平家と共に、京都を去った直後からです。 続く。
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