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2006年10月23日 (月)

藤原忠雅の娘と源通親 26

 源通親の機敏さ(悪く云えば風見鶏良く言えば時代が読めた?)
 彼の最初の奥様は、大納言花山院 (藤原) 忠雅のお嬢さん。
 藤原忠雅 (1129~1193) は、
 藤原道長→頼通→師実→家忠(師実次子)→忠宗→忠雅(次男)
 と繋がり、花山院家を充実させた方。
 後の末裔は、明治天皇の生母、中山慶子(よしこ)さんに。
 彼女は、中山忠能 (1809~1888) のお嬢さんです。
 彼女の母は、
 肥前国平戸9代藩主、「甲子夜話 (かっしやわ)」 で有名な
 松浦清 (山)  (1760~1841) のお嬢さん。
 中山慶子さんの生没年は (1836~1907) です。
 見 (美) 事で素敵な流れとお思いになりませんか?
 序でに、松浦氏を遡ると学会の定説では、
 子宝に恵まれ、そのお子さん達を臣下にされた
 嵯峨天皇 (在位 809~823)(786~842) まで辿り着きます。 
 通称 嵯峨源氏。 
 ここまでは如何かとも思いますが、
 これだと、すべては 「アフリカの母」 に・・・・・。 続く。

*甲子夜話は全部で278巻もあり、松浦清山が藩主リタイヤー後、
 1821年11月甲子 (きのえね) の日の夜から書き始めたので
 甲子夜話との事。将軍 ・大名 ・旗本の逸話と江戸の街などの
 風俗等々を記して下さっています。

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