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2006年10月21日 (土)

藤原(高倉)範子と源通親 25

 源通親はとても才長け、女性にも如才なく、
 その当時の女性なら、気になりほっとけない男性と思われます。
 藤原 (高倉) 範子さんの元の夫は法勝寺執行 能円。
 法勝寺は京都市左京区岡崎あった寺。
 白河天皇建立六勝寺の一つ。
 執行 (しゅぎょう) は寺事務仕事のトップの方。
 1179年、鹿ヶ谷の謀議でメジャーな俊寛も法勝寺執行でした。
 能円の母は、藤原家範のお嬢さんで、彼女の
 夫、平時信との間に     平時子 (1126~1185) 清盛の奥様
                  平時忠 (1127~1189) 平大納言
 次夫、藤原顕憲との間に  能円   (1140~1199)
 達をこの世に送り出しています。
 能円は1183年7月、平家都落ちの際に単身で京を去ります。
 能円と藤原(高倉)範子さん (?~1200) との間には、
 後に後鳥羽天皇 (在位 1183~1198)(1180~1239) の奥様に
 なり土御門天皇 (在位 1198~1210)(1195~1231) を
 誕生させた、在子 (1171~1257) お嬢さんをもうけています。
 能円都落ち後、藤原範子さんは源通親と懇 (ねんご) ろになり、
 彼の奥様に。在子お嬢さんは通親の養女と云う事に相成ります。
 彼女は、母の名を取れば、藤原在子で養父の名なら源在子に。
 世の中では、この時代実父が僧侶で入内された女性が存在
 しなかったので源在子と彼女は云われていますが響きは
 藤原在子の方が宜しいのではないかと考えています。 
 奈良の都では、道鏡さんと称徳女帝とはとても中が宜しかった筈。
 「前例」 に拘ると明るい未来が開かないのでは・・・。 続く。

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